「横道世之介」 実話に紛れ込ませた自伝

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 お察しの通り吉高由里子目当てです。

 そんな訳で(吉高由里子以外)全く期待せず、なんの予備知識もなしで観始めた。
 「あー、ナルホドねー、バブル直前(1987年の設定)の青春ねー、街の風景からファッションから再現してみたのねー」などと呑気に観ていたが、完全に足元を救われた。中盤にあるネタバレ以降、映画を貫くタッチは変わらないのに、全く違う様相の映画としてワタクシ禁煙さんの前に立ち現れてきたのだ。
 コレには参った。
 「いいヒト」を描いた呑気な青春映画だと思ったら、こんなどシリアスなハナシだったとは、、、
 恐れ入りました、、、

  この映画の主人公、横道世之介は、今世紀に入ってすぐに起きた(映画の始まりから16年後)ある有名な事件の、あの人物がモデルになっているのだ。
 映画の中盤にサラッと明かされるこの仕掛けによって、映画の中で描かれる全ての幸せな出来事が、幸せであればあるほど悲しい思い出として逆転してしまう構造になってしまうのだ。
 ネタバレするのが最初からでも最後にでもなく、一旦呑気に楽しい気分を味あわせておいて、一気に逆転させて、あとしんみりとした映画にしてしまう。
 この絶妙なタイミングには恐れいった。

 吉高由里子は「大金持ちのお嬢様」与謝野祥子として登場してくるが、当初この演技にちょっと違和感があった。お嬢様のパロディにしか見えないのだ。コレはちょっと失敗だったんじゃ、、、と思っていると、この違和感の正体はすぐに判明する。
 祥子の父親はバブル初期に大挙して湧いて出た「バブル成金」であり、後に登場するシーンでは、「金持ちの父親としてどう娘(やその周辺)に接するのが正解なのか判らないオトコ」として造形されている。つまり、祥子はまさにお嬢様のパロディとして育てられているのだ。
 その証拠に16年後、バブルも崩壊して自立したオンナになった祥子は、違和感も払拭された単なる「いい女」として造形されている。
 この演技プランは見事だと思う。
 そしてこの演技プランに見事に答えた吉高由里子は心底凄いと思う。
 なにしろこの「パロディとしてのお嬢様」がメチャクチャ可愛いのだ!!(結局そこかよ、、、

 原作者の吉田修一氏は、恐らくあの事件のあの人物が、「どんなヒトだったのかな、、、」と考えて横道世之介と言うキャラクターを造形したのだろう。
 一見、ややヒトがいい以外捉えどころのない人物ではあるが、彼のキャラクターは会話のシーンに良く現れている。
 世之介が東京の人間と話す時、お互いに「エッ?」「エッ?」と聞き返してしまうシーンが多い。
 世之介は相手の「裏の意味を含んだ」言葉の意味が分からず「エッ?」と聞き返してしまう。
 相手は世之介のあまりにもストレートな言動に、「裏の意味」を想定して「エッ?」と聞き返してしまう。
  言葉の裏というものを想定すら出来ないほど裏表のない人物像、を表現しているのだろう。

 くやしいが、この映画はいつまでも心に残る映画になるだろう。
 後を引くであろう理由のひとつに、この映画には、匂わせるだけで敢えて描かれないエピソードが多すぎる、というのがある。
 肝心要の事件そのものを描かないのは、映画的手法として当然のことでもあるが、他にも強烈に匂わせておいて、すっ飛ばしている展開が多々あるのだ。

 この映画のラストは、パリに「2週間」留学する、と言う祥子を世之介がバス停まで送るシーンだが、バス停までの道行で撮った写真を「祥子に最初に見せる」と約束させられる。
 にも関わらず、実際に祥子がその写真を手にするのは16年後なのだ。
 つまり、ラブラブの絶頂であったはずの二人は、あのバス停での見送りを最後に別れてしまうと言うことだ。
 一体何があったんだろう。結局祥子は「2週間」ではパリから戻って来なかったのだろうか。

 それを言い出せば、そもそも世之介は実在の大学名学部名をハッキリ出している(どうも、このへんは吉田修一氏の経歴らしい)のに、祥子は大学名すら分からないし、ナニを学んでいるのかも判らない。「パリに留学」ということは美術系かとも思うが、ベルばらの落書きの腕をみるとそうとも思えない。
 2003年の祥子は何やら世界中を飛び回る仕事をしているらしいが、一体全体世界中でナニをしているのかは描かれていない。
 もしかすると建築系を学んでいて、パリにはベルサイユ宮殿でも見学に行ったのであり、2003年では世界中の途上国で学校か病院でも建てているんだろうか。
 この辺、原作では明らかになってるんですかね。
 なんか悔しいなぁ、、、原作買って読みそうだなぁ、、、

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