「きさらぎ駅」 ゲームは二周目からが面白い。

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 あー、はいはい、分かった分かった。また、アレでしょ。2ちゃん発祥の都市伝説に映像つけてみたら、アホなねらーが「お、おで達の文化が映画になったべ、、、」とか言って観に来るのを当て込んでるんでしょ。
 などと思うんなら観なきゃいいのに、、、とお思いでしょうが、多分、ワタクシ禁煙さん自身アホな元ねらーであること、そしてたまに、ごく稀にこういう佳作に出会うこともあるので、「一応観ておく」と言う態度は大事なのである。いやホント。

 冒頭、俯瞰で草原を女が走っている。やがてカメラが降りてくると女が腕や足から血を流している事が分かるが、「顔は映さない」。この演出が不穏さを湛えていてちょっとワクワクする。
監督は永江二朗。「2ちゃんねるの呪い」とかばっかりのヒトだが、なかなかの映像センスを感じさせてくれる。

 主人公は民俗学専攻の女子大生(恒松祐里)。
 彼女は卒論のテーマに「きさらぎ駅」を選ぶ。
 民俗学の学生が都市伝説を卒論のテーマに選ぶのは普通だが、なにしろ「きさらぎ駅」伝説は、きさらぎ駅に迷い込んで生還したという伝説を生み出した本人が生きていて、未だに発信を続けているのだ(実際の「きさらぎ駅」伝説では、迷い込んだ「はすみ」と名乗る投稿者は2ちゃんねるで実況中にそのまま消えてしまうのだが)。
 つまり、体験した本人にインタビュー出来るのである。

 そして恒松優里は静岡県に住む羽村純子(はむらすみこ、つまり「はすみ」)を尋ねる。ここに単なるおばちゃんではなく佐藤江梨子を持ってきたところがまた、不穏なムードを醸し出す。
 ワタクシ禁煙さんはイエローキャブ三人娘(?)の中では佐藤江梨子の演技力を一番評価している。小池栄子の爆発力やMEGUMIの乾いたリアリティも捨てがたいが、演技の深みという意味では佐藤江梨子が図抜けており、ここでも「異界から生還した事実を信じてほしいオンナ」という難しい役柄にリアリティを持たせている。
 
 そして、喜んで恒松祐里を招き入れたサトエリは自分のきさらぎ駅での体験を話し始める。

 このサトエリの体験談のシーンは一人称カメラで再現される。つまり、声は聞こえるが、サトエリは手先くらいしか映らない。
 もったいない、なぜそんなことをするのかな、と思うが、後々、多分こういうことなのかな、と思わせる展開になっている。

 その日、サトエリは残業の果てに遠州鉄道の最終電車に乗り込むが、ふと気がつくと電車は遠州鉄道には存在しないはずのトンネルに入り込んでいる。怪訝に思っていると電車はついに「きさらぎ」と言う、かつて聞いたこともない駅に着く。
 これ以上先の駅に行ってもしょうがない、この駅で降りて上りの電車を待つことにして、たまたま乗り合わせた他の乗客五人と「きさらぎ」駅で下車する。5人の内訳はヤカラ風の3人(男2オンナ1)と酔っぱらいの中年サラリーマンと女子高生(本田望結ちゃん)。
 実はサトエリは高校教師であり、制服から望結ちゃんが自分の高校の生徒だと気がついた(担任する学年が違うため面識は無い)サトエリは、彼女と行動を共にする。

 しかし、駅で上り電車を待っていたサトエリと5人は、徐々に「怪異」に襲われるようになる。ヤカラ3人組のひとりは早々に「何か」にやられたらしく姿を消し、残った二人は怯えまくるので、5人は隣の駅まで徒歩で向かう。

 ココから、まあ、地獄巡りが始まり、ひとり、またひとりと減っていきます。そして最後に残ったサトエリと望結ちゃん。ここで望結ちゃんを元の世界に戻すつもりだったサトエリは判断を間違え、自分だけが帰還してしまう、と言うハナシ。

 そして当然のことながら、恒松祐里は自ら「きさらぎ駅」を「フィールドワーク」しにおもむく。
 「アレから何回もきさらぎ駅に行こうと同じ終電車に乗ったがダメだった」というサトエリに対し、恒松祐里は民俗学の知識を披露して、細かい行き方の秘密を解き明かす。まあ、民俗学というより、別の都市伝説を組み合わせただけだが、ここで、ワタクシ禁煙さんの脳裏には、一連の清水崇の「◯◯村」シリーズの安易な「別の都市伝説との野合」がチラついたりしたのだが、ここも野合にはならず、自然と「今まで到達できなかった理由」として成立している。

 実は(当然?)この映画はココからなのである。上手く「きさらぎ」界に到達した恒松祐里は、同じ電車に搭乗していたメンツがサトエリのハナシと同じであることを確認すると、「2周目のプレイヤー」として振る舞い始める。
 他のメンバーの記憶は、最初に「きさらぎ界」に到達した時点にリセットされている。つまり、他のメンバーはこれからナニが起きるか知らない。
 しかし、恒松祐里だけは最初に「きさらぎ界」に到達した時点で「きさらぎ界」でナニが起きるか知っている(サトエリのハナシを聞いているから)のだ。
 そして、ココからが滅法オモシロい。

 恒松祐里はゲームで言えば一種のチート状態。一行の中で唯一これからナニが起こるのか知っているので、次々と襲いかかる怪異に対処「しまくる」。
 この対処の「しまくり」方が、ちょっとハッとするほど大胆なのだ。
 善人のフリして近づいてくるオッサンをいきなり巨大な石を振り上げてボコったりする。
 観てるこっちもイヤ、いくらなんでも、、、と思うが、親切そうなオッサンが実は怪異であることを知らない同行者達の驚愕はいかばかりか。
 以後、映画はこの対処「しまくる」恒松祐里の活躍を描いて観客の溜飲を下げつつ進む。

 ああ、なるほどな、と思った。
 コレはつまりゲームの2周目なのだ。
 攻略本を読んでから挑戦している、というか。
 映画全体が一種のゲーム実況として楽しめる様になっている。

 ココまで来ると、サトエリパートで怪異の描写がショボかったことも、もしかすると「コレは規模から言ってもあまり壮大なゲームではなく、安いゲームですよ。安いゲームだから怪異描写もショボいんですよ」と言うことなのではないか、という気がしてきた。まあ、予算が無い言い訳にもなるし。
 せっかくのサトエリがもったいない一人称カメラの徹底も、ゲーム画面だから、と思えば納得も行く。

 と、思わせておいて、ラストで一気に人間の弱さと強さを叩きつけ、ゲームから映画に引き戻す展開にも唸った。ちょっと「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」を思い出したりもする。
 しかも最初からちゃんと伏線が張ってあるのだ。手練だねぇ、、、
 そして、最後の最後にもうヒトひねり。
 通学の都合でサトエリと同居していた姪が、サトエリと恒松祐里の会話を盗み聞きしていて、自ら「きさらぎ駅」は行こうと企てるのだ。
 コレはPartⅡへの伏線だろうが、ここも人間の愚かさを描いて完全とするところがなく、そこはかとない絶望感を漂わせて映画を締める。

 ワタクシ禁煙さんは別にこの映画がホラー映画史に残る名作だと言うつもりは無い(そもそもそんなに怖くはない)。
 しかしこの映画は「魔界の冒険行をゲームのように描く」と言うありがちな倒錯(そもそもゲームがフィクションを模倣していたはずなのに)の一歩先、「ゲームのような魔界の冒険行の二周目の面白さ」を発見したのだと思う。これは凄いアイデアだ。

 このアイデアが監督の永江二朗のものなのか、脚本の宮本武史のものなのかわからないが、とりあえずこの二人の作品は気にかけていきたいと思う。
 
 というわけで次回は「きさらぎ駅」の続編です。

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