
かつて「Jホラー」という言葉があった。
ほぼほぼ中田秀夫と清水崇のことだと思っていいが(まあ、あと白石晃士と鶴田法男かな、、、)。
時期で言うと、1996年の「女優霊」(中田秀夫)からせいぜい2006年の「呪怨 パンデミック」(清水崇)までのちょうど10年間くらいではないか。
この10年後とは、奇しくもこの二人がハリウッドに渡って自作のリメイクを作った頃でも有る。
このハリウッド行きが影響しているのかどうか分からないが、この後この二人の作る映画が怖かった試しがない。
もう、ホント試しがないのよ。
そんなこんなで怖いJホラーが絶滅してから幾星霜、裏切られ続けて15年。
そんな中、前作「犬鳴村」のヒットを受けて清水崇の「村シリーズ」新作です。
で、もうね、一緒です。この15年と。
「犬鳴村」とも、監督の違う「貞子」とも「事故物件」とも一緒。
最初の30分ぐらいは結構怖いんだけど、どんどんグダグダになっていくあのパターン。
もう、だいたい原因も分かってきたね。
要するに貧乏性なのね。
「樹海村」っつってんだから、
「富士山の麓には、樹海で死にきれなかったヒトたちが暮らす『樹海村』と呼ばれる村が存在しているらしい、、、」
だけでイイではないか。
なぜコトリバコなどノせてくるのか。
しかも登場人物のひとりがハッキリ「コトリバコ」と言っているにもかかわらず、仕様が全然コトリバコじゃないのはどうしたことか。全然「子取り箱」じゃないし。
理由は二つ考えられる。
しょにょ1.樹海村だけじゃ尺が足りなくなる、あるいは観客が物足りなく感じるのではないか、という不安に駆られた。
しょにょ2.コトリバコのハナシに興味がある観客も取り込める。
まぁ~貧乏くさい。
ほんっとビンボ臭い。
あぁ~あ、びんぼうクサい。
「樹海に死にきれなかったヒト達が作った村がある」というワンアイデアをディテールや演出で膨らませて面白くするのが映画というものではないのか。
ワンアイデアで面白くなるかどうか不安になってなんかその辺に転がってたネタ中途半端に引っ張って来たようなモンが面白くなるわけがないではないか。
なにゆえその様な想念に取り憑かれたのかは分からないが、
「色々詰め込まないと客が満足しないのではないか」
という恐怖が彼らをかかる貧乏性に駆り立てるのだろう。
「呪怨」がこのような貧乏性に囚われていただろうか。
「ストーカー女が夫に殺された家に立ち入った奴はみんな死ぬ」
コレだけではないか。
このワンアイデアを、掘り下げて、膨らませて、エスカレートさせて怖く、面白くしているではないか。
ちなみに他人の映画でも申し訳ないが、「リング」も「観ると7日以内に死ぬ呪いのビデオ」だけではないか。御船千鶴子のエピソードなど盛り込んで入るが、あくまで呪いのビデオを掘り下げているだけである。
使い古された名言だが、「神はディテールに宿る」である。
テレビドラマならいざしらず、映画の上映時間で面白く処理できるアイデアの数は限られている。メインのアイデアはひとつでも、ディテールを積み重ねて膨らませなければ面白くならないのだ。
どうも最近「ホラー+エンターテイメント」などという訳の分からない概念が猖獗を極めているのも不安にさせられる。
ホラーの時点でエンターテインメントなのに、「+エンターテインメント」とはどういうことなのか。
どうも恋愛要素や家族ドラマ要素があると、「+エンターテインメント」と言ってしまっているのではないか。
ホラーにだってフツーにそれくらいあってイイッちゅうねん。
もしかすると
「ホラーは怖くてイヤ!!」
などというヒトを視野に入れての戦略なのかも知れない。
「ホラー」だけではヒトが呼べない時代のポイズンなのだろうか。
本当に怖い国産ホラーを観たい、という希望はしばらく無理なのかも知れないな、、、



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