「日本暗殺秘録」 これは喜劇である。

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 幕末のから戦前、九つの暗殺事件、すなわち

「桜田門外の変」
「大久保利通暗殺事件」
「大隈重信暗殺未遂事件」
「星亨暗殺事件」
「安田善次郎暗殺事件」
「ギロチン社事件」
「血盟団事件」
「永田鉄山軍務局長暗殺事件」
「二・二六事件」

をオムニバスで時系列順に並べて描いている。
 とは言うものの、上映時間142分のうち100分、つまりフツーに一本の映画として成立するくらいのボリュームが「血盟団事件」に費やされている。
 当初は血盟団事件だけのつもりだったのだが、当時の東映社長が「オールスター映画にすべし」などととんでもないことを言い出し、「ん~、血盟団事件だけじゃオールスター映画にならなくね?」と悩んだ中島貞夫と笠原和夫が「そうだ!オムニバスにしていろんな暗殺事件くっつければ良くね?」との結論に達した結果、このようなスタイルになったらしい。
 結果、若山富三郎から始まって、唐十郎、菅原文太、千葉真一、片岡千恵蔵、田宮二郎、富司純子、高倉健、鶴田浩二と、とてつもないオールスター映画になってしまった。
 しかも決して散漫になることなく(メインの血盟団事件の後に健さんと鶴田浩二のエピソードを持ってくるキャスティングの妙もある)、テーマも深化させることにも成功していて、コレはコレで成功だったのではないか。

 そう、この映画には明確なテーマがあるのである。
 公開時のポスターに対処して曰く

「暗殺は是か!?非か!?」。

 イヤイヤイヤイヤイヤ。
 非に決まってるだろ、と思うのは令和の世だからである。
 本作の公開は1969年。要するに70年安保批准を直前に控えた政治の季節であった。
 そして本作の暗殺の対象は常に権力者であり、本作に横溢しているのは権力者への憎悪である。
 当時の大衆の抱える権力者と、権力者たちが作り出す社会矛盾に対する憎悪を吸い上げれば、「是」である可能性もある、というのが制作の前提なのだ。
 事実、本作は「テロリストを賛美している」と解釈されて長らくソフト化されていなかったのである。
 しかし、本当に本作はテロリズムを肯定しているのだろうか。

 実を言うと、ワタクシ禁煙さんの中では中島貞夫というヒトの作家性が上手く焦点を結んでいない。中島貞夫の映画を、「中島貞夫だから」という理由で観たことがないのだ。
 しかし、笠原和夫なら分かる。「仁義なき戦い」があるからだ。
 通常、深作欣二作品として語られがちな「仁義なき戦い」が実は笠原和夫なしでは成立しなかったことは、唯一笠原脚本ではない「仁義なき戦い 完結編」と他の四作を比べてみれば分かる。
 そして「仁義なき戦い」も強烈な権力者(この場合はヤクザの親分だが)と社会矛盾に対する憎悪で満ち満ちていたではないか。

 そして、笠原和夫はハッキリと「『仁義なき戦い』は喜劇である」と言っていた。
 若者たちに心にもない大義名分を語ってそそのかして命を捨てさせ、自分たちは保身と金儲けに走り回る。
 アレはアホなオッサンどもが欲にまみれて繰り広げるドタバタ喜劇なのである。

 してみると、本作も喜劇なのだろう。
 本作のトーンは「仁義なき戦い」と同じくあくまでシリアスで暗いが、実は、登場人物たちは恐ろしく現実と乖離したとんでもないことをマジメに語っている。

 例えばメインである血盟団事件の後半、血盟団の幹部たちが集まって来る決行の日に向けて決意を新たにするシーンで、彼らはしきりと「我らが起爆剤となって」と言っている。
 一旦彼らが犠牲になって事を起こせば(権力者を暗殺すれば)、それが起爆剤となって民衆が決起する、というのだ。
 彼らは本当にそう信じている。
 「そんなわけーだろ」と思うのは我々が令和の民だからではない。
 当時からそんな根拠は全く無かったのであり、当時の民衆は一部のアタマのオカシイ奴らが権力者を暗殺したとて決起する機運など微塵も見せていない。
 そして歴史的にもそんなことは怒らないことは、過去の暗殺事件が証明している。まさに本作で描かれた血盟団事件以前の暗殺事件で、民衆が決起したりしないことは、そろそろ分かっていてもいいのではないか。

 にもかかわらず、大マジメで「起爆剤となって」と言い張るバカバカしさ。
 この映画はここを笑うべきなのだ。

 しかし笠原和夫氏はマジメな人間なので、キチンと「是か!?非か!?」の答えもちゃんと用意している。
 血盟団事件のひとつ前のギロチン社事件である。
 このエピソードだけは厳密には暗殺事件ではない。
 「暗殺事件を起こすための資金を得るために銀行員を襲った挙げ句に殺してしまう」という、正確には強盗殺人である。
 にもかかわらず、このエピソードには最も純粋にこの映画に託した笠原和夫の思想が現れている。
 主人公は若き日の高橋長英。
 大学生くらいにしか見えない高橋長英はエピソードの冒頭、河原に寝そべり友人に革命の理想を語っている。

 「民衆の正義を踏みにじっている圧政者を、民衆全体に代わって僕たちが処刑する。それだけのことです」

 そう語る高橋長英は、表情といい語り口といい、底抜けに明るく、爽やかである。
 底抜けに明るく、爽やかにとんでもなく脳天気なことを語っている。
 しかし、彼は横に寝そべっていた友人に、こう言われてしまう。

 「革命っていうのは、客観的情勢と、大衆の結集した組織があって初めてできるもんだよ。そんな個人的なテロリズムでは絶対できない。君たちは、結局は自分の人生のうえに自分の血で美しい詩を書いてみたいだけなんだ。」

 こう語る友人は役名もなく、顔も殆ど映らない。
 だからこそ、彼こそは笠原和夫の代弁者なのだろう。

 ギロチン社事件の高橋長英も、血盟団事件の片岡千恵蔵も田宮二郎も、心のどこかでは民衆が決起しないことを気づいているのかもしれない。
 ただ、自分の人生の上に自分の血で革命という美しい詩を書いてみたいだけなのだ。

 巷間、血盟団事件の千葉ちゃんの演技が評価が高く、コレが千葉ちゃんの演技開眼、とする意見も多いようである。
 しかしワタクシ禁煙さんはこのキャラが千葉ちゃんの資質に合っていると思えず、あまり感心しなかった。それというのも、このエピソードを見ている最中、「もしこの役がショーケンだったら、、、」と思ってしまったせいもある。
 ショーケンの活躍はもう少し後の時代なので無理なのだが、もしこの役がショーケンだったら、このエピソードだけで映画史に残る名作になっていたのではないか。

 あと、ワタクシ禁煙さんの世代では、テレビのワイドショーの司会で「恐怖のズンドコ」と言う名言を残し、物心付く前には「あなたさまに恨みはございませんが、死んでもらいます、、、」という超シュールなセリフとともに殺人を犯す役で一世を風靡したヒト、と言う、なんだかよく分からない印象しかない藤純子さまが、とてつもなく素敵。最初はパン屋の元気で優しい従業員、やがて売春婦まがいのカフェの女給に身を持ち崩す役を、最後まで凛として品を失わない役作りで演じきり、なるほどコレは父親世代が夢中になったのも分かるわ、と思わせる。

 しかし、結局たった3分くらいしか出番のない健さんが全てをかっさらっていくのであった、、、、

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