
イヤイヤイヤイヤイヤ。
前作をアレだけ貶してたのに2作目観たんかい、と。
ご不審の念をお持ちになるのはわかりますが、コレには訳があります。
もともとこっちの「2」の方が観たかったの。
で、「2」だけ観てもハナシ繋がらない恐れがあるな、と思って「1」も観ただけなの。
で、で、なんで「2」を観たかったというと、、、
白石麻衣やん目当てです。
オープニングは前作で一度別れたものの再開を果たした主役の二人(田中圭と北川景子ね)の結婚式。そこに前作で二人を救った刑事(千葉雄大)も呼ばれて出席している。ああ、やっぱり前作を観といてよかった、、、
と思うけどさ、この下り、結局本筋と関係ないよね。
前作を観たヒトへのサービスカットなのだろう。
こういうところも相変わらずテレビドラマ的だなぁ、、、
千葉雄大は結婚式に出席するにあたって彼女を連れてきている。この彼女が白石麻衣やん。
北川景子に「次はお二人ですね!」と言われると二人とも微妙な反応。
アレ?前作の二人みたいになにか障害になることがあるのかな、、、というオープニング。
で、今回も死体が発見されます。しかも前回の犯人が死体を埋めていた丹沢山渓。
アレ?前回の犯人は捕まって収監されてるのに。昔殺した死体?それとも同じところに別の殺人鬼が埋めてるの?
というハナシ。
というハナシなんですけどね、コレはひどいですね。
要するにこの後まんま「羊たちの沈黙」になってしまう。
「M」と名乗る新たな殺人鬼は前作の犯人「囚われの殺人鬼」と旧知であり、千葉雄大は「囚われの殺人鬼」に協力を求める。交換条件で快適な独房に移った「囚われの殺人鬼」は、さんざっぱらもったいぶって情報を小出しにした挙げ句、スキを見て看守を殺して脱獄する。
ってモロじゃん。パクリじゃん。
最後はご丁寧に外国から刑事に電話してきやがる。
こんなことが許されるのか。
一体全体どういうつもりなのだろう。
「羊たちの沈黙」を知らない奴が「スゲェ!」って感心すると思ったのだろうか。
「羊たちの沈黙」を知ってる奴が「スゲェ!オマージュだ!」って感動すると思ったのだろうか。
まさか、「羊たちの沈黙」を知っててもパクリだと気が付かない奴が「スンゲエエエエぇぇーーーー!!!」と感涙にむせぶと思った、とでも言うのだろうか、、、
正直、恥ずかしくないのか、とさえ思う。
コレもテレビドラマではよくあることではある。
テレビドラマの歴史は映画で培われた財産を食い潰す歴史(80年代くらいまで?今でも?)だった。
しかし、同じメディアでココまでパクっちゃダメじゃね?
もはや原作がそうなってるから、という問題でない。
またしても中田秀夫が映画人としての誇りなどどうでも良くなってしまったことを思い知らされる。
結局、この映画を作った意味は
「白石麻衣やんはマトモな演技ができるのか」
を検証することしかなくなっている。
で、出来てます。
別に上手くはないけど。
一応、「下手すぎて見てらんねぇ、、、」というレベルではない、ちゃんと見ていられる演技をしてくれている。
コレは素直にコトホギたい。
今後いろいろな機会で白石麻衣やんの活躍を見れる可能性が高くなったということである。
しかし、一方で白石麻衣やんが抱える難点もあらわになってしまっている。
美人すぎてフツーのヒトを演じるとリアリティが無くなってしまうのである。
本作の麻衣やんは別に絶世の美女の役ではなく、安月給の刑事に恋するフツーのOLである。
こんな美人がその辺の刑事と付き合うワケがない。
もちろん実際にはそういうこともあるのだろうが、映画のリアリティとはそういうものではない。
ではどうすれば良いか、というとですね。
私見によればこの問題には三つの解決策がある。
ひとつは昔から採用されている「悪女を演ってみる」という方法論である。
コレはハリウッド映画等でも散々取り入れられて、有効であることが証明されている。
そしてもうひとつ。
本邦におけるこの問題の先達、中谷美紀の方法論である。
それは、「コメディエンヌになってみる」ことである。
これも、現在の中谷美紀の活躍を見れば有効であると言っていい。
ただし、コメディエンヌは悪女を演じるより難しく、中谷美紀くらい才能がないと無理、という難点がある。
そして最後は、コレは間然にワタクシ禁煙さんの勝手な思い込みだが、「ショートカットにしてみる」というのはどうだろう。丸顔で目鼻立ちのハッキリした女性はショートカットが似合う、と思っているのだが、、、
なんか今回後半キモくなってしまいました。
引かないでください。



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