「ランボー ラスト・ブラッド」 ランボー、「攻撃者との同一化」に挑戦

¥500 (2026/04/13 19:56時点 | Amazon調べ)

 ジークムント・フロイトの娘、アンナ・フロイトは、父の提唱した「防衛機制」の概念を発展、整理、分類したが、その中に「攻撃者との同一化」という概念がある。
 例えば、子供がお化けが怖すぎるとき、自らお化けの真似をして弟や妹(とは限らないけど)を怖がらせたりする。
 そうすると恐怖が和らぐのである。
 この心の働きを「攻撃者との同一化」と分類したのだ、

 スタさんの代表作「ランボー」シリーズの11年ぶりの最新作にして完結編(第一作からはなんと38年目)、「ランボー ラスト・ブラッド」はこの「攻撃者との同一化」についての映画であった。

 そもそも前作のタイトルからして「ランボー 最後の戦場」であり、ランボーが数十年ぶりに故郷に帰るラストシーンを観て、

「ああ、ランボーの地獄めぐりもついに終わったんだな、、、」

と感慨にふけった記憶があるのだが、なんとさらにもう一作作りやがるという。
 っていうかスタさん自身、絶対「最後の戦場」で最終作のつもりだっただろ、と思うのよ。
 しかし齢70を過ぎたスタさんはふと気づくのである。

 「ランボーの戦いはまだ終わってない。
 ランボーはまだベトナム以来の恐怖を解消できていない。
 そして、ランボーはまだ自分の戦いを戦ったことがない」

 そう。
 本作はランボーの「攻撃者との同一化」を描くと同時に、ランボーの「自分自身の戦い」を描いている。

 思えばこれまでランボーの戦いはいつも巻き込まれ型か、他人のための戦いであった。
 理不尽に警察に追われる第一作。
 元上官に依頼される第二作。
 元上官を救いに行く第三作。
 そして頼まれ仕事だった第四作。
 しかしこの第五作はとうとう、誰に頼まれたのでもない、すでに誰かを救うためですらない。
 ただ、自分のための戦いを戦い抜くのであった、、、

 前作のラストで実家の農場へ戻ったランボー。
 既に両親は亡くなっており、ランボーは父の代からの使用人であるおばちゃんとその孫娘の三人で静かに農場経営(馬の飼育?)で暮らしていた。
 おばちゃんの孫娘を自分の孫娘のように可愛がっていたランボーだったが、孫娘が大学に入る前に自分を捨てた父親に会いにメキシコに行く、と言い出したことから、三人の運命は大きく動き出す。

 静かに幸せに暮らしていたランボーではあったが、実はここで既にランボーの心の闇は描かれている。
 自分の農場の地下に延々とトンネルを掘っているのである。
 第一作の前史としてベトナム戦争の英雄であるとされていたランボーにとって、トンネルとはつまりベトコンの象徴である。
 この時点で彼はナニを思ってトンネルを掘っているのだろうか。
 ベトコンが、どれだけ苦労してあの戦争に勝ったのか知りたかったのだろうか。

 そしてランボーは既に守るべきものもなく、誰に頼まれたわけでもなく、ただ、己の復讐のためだけの戦いに身を投じていく。

 孫娘がメキシコに行ったことからも予想できるだろうが(詳しく書くとネタバレになるから経緯は書かないけど)、ランボーは一度メキシコの人身売買組織にボコボコにされて戻ってくる。かつてランボーがこれほどボコられたことがあっただろうかというくらいボコボコにされてしまう。
 もう、ほとんど瀕死。
 たまたま(でもないんだけど)助けてくれるヒトがいなければあのまま死んでいたのではないか。

 そして、心も体も過去最大に傷ついたランボーは自分の農場に戻り、なんと自分が掘ったトンネルに罠を仕掛け要塞化していく。
 この辺、なんとなく「十三人の刺客」っぽくもあるが、そうではない。
 かつて自分を苦しめ、自分の仲間を殺したベトコンと同じ方法で戦うこと。
 それだけがこの38年彼を苦しめてきた記憶から開放してくれるのだ。

 この辺から、果たしてランボーは自分の恐怖から開放されてるために戦っているのか、復習のために戦っているのか分からなくなってくる。
 まあ、両方なんだけど。
 っていうか一石二鳥ってことなんだろうけど。

 実を言うと、全体としてそんなに面白いかっつーとそうでもない。
 正直言って脚本も穴だらけ(2回目の女性ジャーナリストの登場って意味ある?)だし、アクションシーンのキレも前作と比べても全然ダメ。
 まあ、しょうがない、スタさんも73歳だ。
 大体70過ぎてアクションでもないだろう。
 ある意味体技の衰えをごまかすための要塞化でもあり、その意味では一石三鳥とも言える。

 ただ、今回監督はエイドリアン・グランバーグという聞いたことがないヒトだが、戦闘シーンの流血の効果とかが「最後の戦場」と同じ。
 スタさんもドラマ部分の演出とかもうメンド臭くて新人に任せたが、アクションシーンの段取りは自分でヤッているのだろう。

 スタさんがランボーの戦いを終わらせるためにこの映画を作りたかった事はわかる。
 分かるけど、スタさん以外に(つまり我々観客、というかスタさんファン?)にも意味があったのかどうかは分からない。
そこは皆さんで判断してください。
 スタさんファンじゃないヒトは観なくていいと思います。

コメント

タイトルとURLをコピーしました