「イエスタデイ」 ビートルズを必要とする不幸について

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 やっぱダニー・ボイルってスゴイなぁ、、、と思うのである。
実はワタクシ禁煙さんは、ロンドン・オリンピックの開会式に感動してしまったのだ。

 「前回のロンドンオリンピックから今回までの期間、イギリスが生み出した世界に誇れるものはロックだ!」

というオリンピックの開会式史上まれに見る明解なコンセプトに貫かれ、イギリスの全体像を無視して延々とロックが流れ、ロックスターが登場し続ける大胆さ。
 そしてオープニングのVTR部分にピンク・フロイドをフィーチャーし、ヒプノシスのイメージを織り込む「解ってる感」。
 VTRパートのラスト、ロンドン中を駆け巡っていたカメラがピンク・フロイドの「Eclipse」に乗せてスタジアムに到達するシーンなど、ワタクシ禁煙さんはほとんどイキそうなっていた。
 ワタクシ禁煙さんの青春はブリティッシュ・ロックと共にあった。
 もう、涙なくしては観れません、、、(それだけにTOKYO2020」とやらの意味不明でショボい開会式は恥ずかしかった、、、)。

 そんなダニー・ボイル監督作品。
 テーマはビートルズ。
 もう、素晴らしくないわけがないよね。

 いや、解るよ。解りますよ。
 曰く、「ビートルズで重要なのはその先進性である」
 曰く、「あのハーモニー無くしてなんのビートルズか」
 曰く、「ビートルズとはカウンター・カルチャーのオピニオンリーダーである」
 これらの理由を持ってこの映画を認めないヒト達がいる。
 ビートルズってこんなもんじゃないよ、と。

 それはそうよ、それはそうなのよ。でも、そうじゃない。そうじゃないんだよ。
 コレは、ダニー・ボイルによる、

 「ビートルズの楽曲の詩とメロディーだけ取り出しても、名曲として通用するのか」

という思考実験なのだ。
 そして、ダニー・ボイルの結論は

 「通用する」

である。
 そしてダニー・ボイルはさらに壮大な仮説を披瀝してみせる。

 全く売れないシンガーソングライター、ジャックは、マネージャー以上恋人未満の幼馴染エリーに支えられてバイトしながら音楽活動を続けていたが、
「そろそろ潮時かな、、、」
などと思っていた。
 そんなある日、夜中自転車で走っていた(貧乏だからクルマがない)ジャックは、突然辺り一帯が停電したことに驚き、おそらく同様に驚いたバスと接触、交通事故にあってしまう。
 ジャックは大怪我をして入院するが、退院後に仲間が開いてくれた退院パーティで、エリーに新しいギターをもらう(前のは事故で壊れた)。
 そして、「ギターにふさわしい曲を演ろう」と「イエスタデイ」を弾くと、その場にいた友人たちが全員、「なんて美しい曲だ、、、」と驚く。
 エリーまで「こんないい曲、なんで今まで演らなかったの?」と言い出す始末。

 アレ?みんなビートルズの「イエスタデイ」知らないの?
 家に帰って「Beatles」でネット検索しても「Beetle」(カブトムシね)しか引っかからない。
 アレアレ?ビートルズってオレの記憶の中にしかいないの?

 つまり、ジャックはビートルズが「生まれなかった」平行世界へ転生したのだ。

 世界中の誰もビートルズを知らないのをいいことに、ジャックはビートルズの曲を自作の曲として歌い始めたらさあ大変。
 自主制作CDを作れば大評判になるわ、地元のニュース番組に呼ばれるわ、その番組を観たエド・シーランにオープニング・アクトを任されるわ、アメリカから大物マネージャーがスカウトに来るわ、もう、大騒ぎ。
 かくしてジャックは長く面倒を見てもらったエリーを捨てて狂乱の巷アメリカへと渡るのであった。
 しかし、名声が高まれば高まるほど、ジャックは疑問を感じ始める。
 「オレ、こんなことしてていいんだろうか、、、どんなに売れても、ホントはオレが作った曲じゃないのに、、、」
というハナシ。

 ま~~あ面白いよね。
 だいたい、「興亡史」のうち、「興」の部分はどんな映画でも(小説でも)面白くなりやすいが、さすがダニー・ボイル先生、小ネタもふんだんに散りばめて、おおむね予想の範囲内のことしか起きないにも関わらず、全く飽きさせず、「興」のワクワクを持続させる。
 主人公やその友達のとぼけたキャラ、一転してギョーカイ人たちのエグいキャラなどを織り交ぜ、ちゃんとコメディとしても成立してるし。

 しかし、我々は映画が進むうちにある「違和感」を感じるようになる。

「アレ?この世界のヒト達、ちょっとヘンじゃね?」

 まあ、たいしてヘンじゃないんだけど、どっかヘン。ビミョー二にヘン。
 なんかこの世界のヒト達、ミョーに物分りが良くない?

 この映画はエド・シーランが本人役で出演し、全面協力している。
 ローカルテレビに出て歌っていたジャックを観て、イキナリ自分のワールドツアーの前座に抜擢してしまうという役まわり。
 そしてロシア公演が終わった夜、バックメンバーやスタッフとたむろしていたとき、エドはジャックに作曲勝負を挑む。

「前に作った曲はダメだよ。今この場で作った曲をみんなに聞いてもらって、投票でどっちがいいか決めてもらおう」

 そしてジャックはおもむろにピアノを弾きながら「Long and winding road」を歌い出すのだ。
 聞き終わった後、エドは言う。

「投票の必要はない。新しいスーパースターの誕生ってことだ」

 あっさり負けを認めてしまう。
 物分り良すぎじゃね?
 フツーの映画の文法としては、一応投票はしたものの忖度する奴がいてジャックの惜敗、しかしエド本人は自分の負けを知っていて、、、的な展開もあり得ただろう。
 しかし、あえてそうはならない。
 なんてもの解りがいいんだろう、、、

 実は、あの停電の夜、「ビートルズがいた世界」からこの世界に転生してきたのジャックだけではない。
 少なくとも二人は劇中に登場して、ジャックに会いに来るのである。
 ジャックは今日の観客の中にビートルズを覚えている奴がいると知って恐怖する。
 ついに自分が盗作で名声を得ていることを糾弾される日が来たか、と。
 しかし実際に対面した二人は驚くべきことを告げる。
「ビートルズの音楽がない世界は少しつまらなかったわ。これからも頑張ってね」
 な、なんて物分りがいいんだろう、、、

 そして、この違和感は、ラスト近く、恋人が元カレのもとに戻ると言い出した今カレの反応で決定的になる。
 明日から愛し合った彼女がいなくなるというのにそんなにニコヤカに二人を祝福できる奴がいるか?
 い、いくらなんでも物分りよすぎじゃ、、、

 映画のラストで、ジャックも物分りが良すぎる選択をする。
 つまり、ジャックと先の転生組の三人は、おそらくはこの世界にふさわしい物分りの良さ」を備えていたからこそ、この世界に転生してきたのだろう。

 「ビートルズがいない世界」の住人は、「ビートルズがいた世界」の住人より、極端に物分りがいいのである。

 おそらくはコレがダニー・ボイルがこの映画に託した映画のテーマだろう。

 ビートルズが生まれなかった、と書いたが、それは、ジョン・ポール・ジョージ・リンゴのの4人がこの世に生を受けなかったということではない。彼らは生まれているのだ(そのうち1人は登場する)。
 しかし、ビートルズは生まれない。

 つまり、ヒトビトが物分りがよく、我々の世界より優しい世界ではビートルズは生まれないのだ。
 なぜなら、ヒトビトが物分りがよく、優しければ、ジョン・レノンは「HELP!」と叫ぶ必要がないから。

 かつて渋谷陽一は「ポップスターとは大衆の不幸の集積だ」と喝破した。
 ビートルズがいない世界では、我々が今いる世界より、不幸が少ないのだ。ヒトビトが物分りがよく、優しいから。
 つまり、ビートルズという偉大なポップスターを必要とした我々の世界は、ビートルズを必要としない世界より不幸なのだ。
 その不幸を、ビートルズを始めとするポップスター達が埋めようと必死になっている。
 コレは、大衆芸術全般の機能と言ってもいいかも知れない。

 イヤ、解るよ、解りますよ。
「そんな理由でビートルズが生まれないくらいヒトビトの心象が違う世界だったら、もっと違う世界になってるんじゃね}
 まあ、そうなんだけどさ、そこはいいじゃない。映画だし、思考実験なんだからさ、、、

 実は「ビートルズがいない世界」には、我々の世界と比べて、他にもないものがある。
 例えばタバコだ。
 多分、ヒトビトがもっともの解りが良くて優しければ、我々はタバコを必要とするほどイライラしないのかも知れない(え?今でも必要ない?あ、そう、、、)。

 ハリー・ポッターが存在しないのは、、、
 やっぱりヒトビトが物分りがよくて優しいと、スリザリンは成立しないからかな、、、

 ビートルズの楽曲を使った楽しい映画として成立させながら壮大な思考実験をしてみせたダニー・ボイルの才能には恐れ入る。

 ところでちょっと不思議なんだけどさ、この映画を、ビートルズの先進性やハーモニー、そして歌唱力を含めた演奏力を理由に認めないヒトたちって、ビートルズの楽曲だけでは大したことないって思ってるのかな。
 例えば、ビートルズのカバー曲なんて認めないのかな。
 ワタクシ禁煙さんはスティーブ・ヒレッジの「IT’S ALL TOO MUCH」なんて原曲より好きなんだけどな、、、

 あ、あと、この世界にはビートルズのパクリじゃね?と言われるあるバンドも存在しません。
 まあ、コレは本人たちも怒らないだろうね、、、

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