
映画「シャイニング」の公開は1980年。
この時点で原作者のシャンスティーブン・キングはそれほど有名ではなかった記憶がある。
「キャリー」はあったが、あれもどちらかというとブライアン・デ・パルマ作品として話題になっていた。
つまり、スティーブン・キングの名を世間に知らしめたのは「シャイニング」だと言っても過言ではないのだ。もちろんその後スティーブン・キング自身は映画化されようがされまいが関係ない、とんでもない才能の持ち主であることを証明し続けてはや50年弱のヒトであるのだが、デビュー直後5年間のプロモーションにキューブリックの「シャイニング」が果たした役割は大きかったはずだ。
しかし、スティーブン・キングは「シャイニング」をそれこそ公開前からどころかキャスティングの段階から否定し続けてきた。
ジャック・トランス役がジャック・ニコルソン、の時点で自分が書いた小説のテーマと違う、というのだ。ジャック・ニコルソンではそもそも芝居がエキセントリック過ぎて、キングが描こうとした平凡な、弱いダメ男(キング自身の投影であり、キングの父親の投影でもある)が表現できない。
その他、そもそもタイトルロールであるダニー少年の「シャイニング」にフィーチャーされていない、ホテルに巣食う妖異より、アル中オヤジの虐待バナシになってしまっている、等、もう、全く気に入って無いらしい。 終いには「もう、映画『シャイニング』の悪口は言わないから」とキューブリックに約束して映像化権を買取、自らTVシリーズの制作に乗り出す始末である。
そして40年ぶりの映画化である。
どうやら現時点でキング先生はこの作品を気に入っているらしい。
しかし、この続編は、キング自身の手になる続編小説より、キューブリックの「シャイニング」の続編になっている。
小説「シャイニング」のラストで舞台となったオーバールックホテルはラストで爆発してしまうが、映画版では別に爆発はしない。
そして、本作「ドクター・スリープ」でオーバールックホテルは爆発してないのだ。それどころかオーバールックホテルがまだ存在していることが、ラストの展開の重要なキーになっている。
これはどういうことなのだろう。
キング先生、ついに映画「シャイニング」を認めたのだろうか。
「もう、悪口は言わない」と約束した筈なのに、キューブリックが死んだ途端、また悪口を言い始めたほど嫌いだったはずなのだが、、、
映画はキレイなオネーサンが可愛い少女をかどわかすシーンから始まる。
その後、あの、「シャイニング」のダニーが大人になってやさぐれた姿で登場し、、映画はこの二者を交互に描き出す。
描き出すが、この二者はしばらく交わらない。
この二者が交わるには、もう一つファクターが必要なのだ。
荒れた生活を送っていたダニーは放浪の果てにたどり着いたニューハンプシャーの小さな町で、友人と職を得て、アルコール依存症からも脱出、貧しいながらも落ち着いた日々を送っていた。
そんなある日、ダニーが暮らす部屋の壁(前の住人が数学科の学生だったために壁一面が黒板になっている)に、メッセージが現れる。
誰ともわからない相手との黒板を使ったメッセージのやり取りが、ダニーの穏やかな日常に加わる。
一方、冒頭で少女をかどわかしたキレイなオネーサンは、何やら悪そうな仲間と連れ立って、ダニーと同じような能力「シャイニング」を持った奴を相変わらずかどわかしたり、見込みの有りそうな奴は仲間にしたりしていた。
要するに、このキレイなオネーサン一味は、他人の「シャイニング」を「喰らって」は永遠の命を永らえるヴァンパイヤみたいな奴らなのであった。
そして、ある日、ダニーとオネーサンの人生は交錯する。
オネーサン一味が少年野球場で見つけたやたら選球眼のイイ少年は、実はシャイニングの持ち主で、オネーサンたちは彼を拉致って恐怖を味あわせ(恐怖を感じさせた方が「シャイニング」が、多く出るらしい)、それを味わおうというのだ。
このシーンはあまりの凄惨さにギョッとする。
メジャーな映画でこんな事があっていいのかと言うレベル。
しかしこの映画史上に残りかねない残酷シーンのおかげで、登場人物全員の運命は大きく動き始める。
ダニーと黒板でコミュニケートしていた謎の存在、その正体はなんと当年とって10歳の少女アブラであり、彼女はその「シャイニング」のあまりの強さ故に、北アメリカ大陸の反対側で行われていた惨劇を感じ取ってしまう。
そして、感じ取られてしまったオネーサンも感じ取られたことを感じ取ってしまう。
ついに当代最高のシャイニングがお互いの存在を認識し合う。
ここに、ダニー+アブラ連合軍とオネーサン一味の超能力大戦の幕が開いたのであーる!!
そう、コレはホラーと言うより超能力者同士の戦いを描くバトル映画であった。
オネーサンがアブラを探すために霊体となって全米の空中を浮遊するシーンで、
「ああ、コレは『童夢』だな」
と思った。
1980年にコミックとして初めて日本SF大賞を受賞した大友克洋の代表作、「童夢」はまさに超能力者同士の戦いを描いたバトルコミックであった。
当時ワタクシ禁煙さんが「童夢」を読んでもっとも驚いたのは、重力を無視して空中を飛び回る超能力者は、「上下左右の感覚は意味がない」と言う描写であった。
空中を飛びながら追うものと追われるものを描いたコマ。
追われるものの身体の前面はは270度、追うものは180度度を向いている。そしてそのコマの地面はなんと90度の角度に傾いている。
このコマを見た時、読んでいるものの平衡感覚すら狂わせながら、「ああ、重力を無視できるとはこういうことか!」と思い知らされるのだ。
あの時、すでに天才の呼び声も高かった大友克洋が、ワタクシ禁煙さんごときの当時の認識を遥かに超えるとんでもない天才であることを思い知らせたのであった。
ワタクシ禁煙さんは、この、オネーサンの霊体が空中を浮遊するシーンで、マイク・フラナガン監督は絶対に「童夢」を意識していると思う。
超能力大戦のスタンダードといえば「童夢」なのだ。
そして、ダニーはオネーサン一味を倒すために懐かしのオーバールックホテルにいまだ巣食う亡霊たちを利用しようと、オネーサンをオーバールックホテルにおびき出す。
そしてまず、ダニーは自ら亡霊たちと対峙する。
懐かしい、アイツ、とかあのヒト、とかと再会する。
コレ、いる?
正直、懐かしさだけじゃね?
超強力で大ベテランのオネーサン一味に対抗するためになんらかの作戦が必要、というのは分かるが、それまでの超能力大戦からの落差が酷い。
ココまで結構いいペースでスリリングな展開を見せていたのである。
それがココでガクッとペースが落ちてしまう。
しかも、悪いことにジャック・トランスが登場してしまう。
もう、ソックリさんじゃん。
「あ~、ソックリさんだな~、よく似た人見つけてきたな~、、、」
と思いながら、同映画の世界に入り込めというのか。
大人になったダニー、オーバールックホテルの惨劇を乗り越えたダニーを描けたんだから、もういいじゃん、と思う。
でも、ヲタク的な価値観を持ったヒトたちは「おお!オーバールックホテルが!ジャック・トランスが!伝説の双子が!」
って大喜びするんだろうな、、、



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