
丸谷才一は大岡昇平の「野火」を評して「『野火』は対句によって書かれている」と断言していた。
対句とは二つの事象を並列して記述する、レトリックの一種。
例えば、ミステリーファンには有名なウィリアム・アイリッシュ作「幻の女」の冒頭
「夜は若く、彼も若かった。が、夜の空気は甘いのに、彼の気分は苦かった」
という対句二連発は最も有名な対句だろう(肝心の「野火」から引用すると長くなるのでヤメておく)。
えーっとですね。
別に対句の講義がしたいわけではない。
この場合の「対句によって書かれている」というのは、「野火」にはさまざまなレトリックが仕込まれているが、対句の数が飛び抜けて多い、という程度の、コレもまたレトリックである。
そして、丸谷才一先生のレトリックそ借りれば、
「山中貞雄の『丹下左膳餘話 百萬兩の壺』は、『転回点の省略』によって描かれている」
となる。
ちなみに「転回点の省略」とは、今、ワタクシ禁煙さんが編み出した新語です。
既に確立した映画用語があるかと思って探したが、見つかりませんでした。
例えば、左膳は居候兼用心棒している矢場(今でいうと射的とスナックが合体したような不思議な施設。おねーちゃんにお酌させながら弓を射ったりしている)で、チンピラに絡まれた常連客を助けたあと、左膳の情婦である矢場の女将に
「アイツラがまだその辺ウロウロしているから、家まで送っていって上げてよ」
と言われる。左膳は
「そんなメンド臭いことは嫌だ」
と抵抗する。
「送ってあげなよ」
「オレはイヤだ、行くもんか」
というやり取りがさんざん繰り返された後、
<<ワイプ>>
次のカットでは夜道を客と左膳が歩いているのだ。
肝心の左膳が女将に説得される瞬間は省略されているが、ナニも説明しないで左膳と女将の関係性が伝わり、クスッと笑ってしまう。
また別のシーンでは左膳と女将が引き取った孤児安吉が、近所の子供が竹馬に乗っているのを見て
「オイラも竹馬に乗りたいやい!」
と言い出すが、女将は
「だめだよあんな危ないもの!」
と叱る。
「竹馬乗りたい!」
「駄目!」
<<ワイプ>>
中庭で竹馬に乗る安吉を見守る女将。
という具合である。
いつも、事態が展開する瞬間を省略することによって笑いを生んでいる。
この映画は全編この繰り返しなのだ。
ワイプの前後で事態が逆転している。
しかし逆転した瞬間は省略されている。
省略されたことによって笑いが生まれる。
実を言うと映画では省略は当たり前の手法なのだが、コレほど上手に、なおかつ全編に渡ってこだわりまくった映画があるだろうか。
この映画はやはり、天才山中貞雄がこの「転回点の省略」をやりたいがために作った映画なのだと思う。もう、そう決めた。
日本映画界は86年も前、しかも戦前にこんなにも洗練された手法を使った映画を作っていたのだ。
今の日本映画界は刑事がモニターを見ながら先輩刑事に「この店に犯人が来てるはず」などと説明するような映画を作っているというのに、、、
戦後の作品であるマキノ雅弘監督の「丹下左膳」と比べると、なんだか不思議な気持ちになるストーリー。
マキノ版はほとんど伝奇的とも言っていいほど不気味かつドロドロのストーリーだったが、本作はコメディなのだ。しかもホームコメディ。
にもかかわらず、ストーリーに不思議な共通点があるのだ。
地方藩の藩主がナニが何でも手に入れたいお宝が、江戸の剣術道場にある。
丹下左膳は(賭場と矢場という違いはあれど)娯楽施設を経営する女性の情夫になって居候している。
丹下左膳は理由は全然違えど前述の道場に道場破りに行く。
しかし戦後のマキノ版の方が林不忘の原作には近いのだ。
よくもまあ大胆にアレンジしたものである。
本作以前から丹下左膳という剣豪の異形ぶりと大河内傳次郎の魁偉な容貌のマッチングのせいで大河内左膳は人気作だったが、基本は戦後の「丹下左膳」と同じ、左膳は狂気にして悲劇の剣客である。
コレを「コレは喜劇になる!」と見抜き、日本映画史上に残る傑作をものした眼力には恐れ入るばかりだ。しかもくどいようだが戦前に。
矢場の女将にして左膳の情婦、お藤に芸者出身の歌手、喜代三。
自慢の喉と三味線を劇中何度も聴かせてくれる。レコードの再生機もラジオも高級品だった時代、ヒトビトが歌声というものに餓えていた背景をひしひしと感じさせる。喜代三の歌が聴きたくて劇場に足を運ぶ観客も多かったのだろう。
他にも全編にわたり、クラシックを中心にしたBGMが鳴り響いている印象がある。
今とはBGMが背負う意味も違うんだろうな、、、
残念なのはGHQにチャンバラシーンを捨てられてしまったこと。
今回観ることができたのは「最長版」と名乗るバージョンだったが、終盤、左膳が安吉の父の敵を数人斬り殺すシーンはあからさまにカットされている。
ヒトが死なない冒頭のチンピラを蹴散らすシーンや道場破りのシーン、更には一人しか斬り殺さないシーンは残っているので、一応大河内傳次郎の殺陣を観ることはできるが。
ちょっと気になったのは、まだ左膳が登場もしない序盤、宝を譲ってもらいに藩の使いのものが道場に来たとき、道場主がなぜそんなモノを欲しがるのか訝しがり、門弟たちに命じて使いのものを道場に拉致するシーンが有る。
次のシーンで道場主はなぜ藩主が「こけ猿の壺」を欲しがるのか理解している。
つまり、門弟たちが使いを拷問して白状させたに違いないのだが、そのシーンは省略されている。
コレが、お得意の「転回点の省略」なのか、GHQによる検閲なのか解らないのだ。
水ダウで
「『丹下左膳餘話 百萬兩の壺』公開時に完全版見たひと、ギリ生きてる説」
かなんかやって証言取ってくれないかな、、、
もう、記憶と妄想が区別つかなくなってるかな、、、



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