「人斬り」後の「女の情念」映画に至る以前の「オトコの情念」映画

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「日本映画講義 時代劇編」の復習シリーズ第二弾。

 映画史的には五社英雄によるフジテレビ制作劇場用映画シリーズ(「御用金」に続く)第二弾。

 そしてワタクシ禁煙さん的には、「五社英雄のチャンバラ演出について考える」シリーズ第二弾でもある。
 「世間では評判がいいらしい五社英雄のチャンバラ演出が、なぜ、ワタクシ禁煙さんには面白くなく感じるのか」

 「人斬り」は一種の「剣豪映画」であって、「御用金」より大量にいわゆる剣豪が出てくる。したがってチャンバラもいっぱいある。五社英雄とチャンバラについて考えるにはうってつけなのである。

 で、ですね。
 やっぱダメでしたね。
 映画としては面白いんだけど、チャンバラだけ取り出すと、全然面白くない。
 もう、分かった。
 オレと五社演出は合わない。
 やっぱ五社英雄って「鬼龍院花子の生涯」のヒトじゃね?
 女の情念じゃね?

 冒頭から凄惨な惨殺シーンの連続である。
 主役である、カツシン演じる岡田以蔵がまだ、ヒトを殺す前、師匠の武市半平太に「まず、見ていろ」、と命じられて同じ土佐勤王党の仲間が土佐藩の重鎮を三人がかりで惨殺するシーン。
 あやめも分かたぬ土砂降りのなかで繰り広げられるこのシーンは、確かに迫力がある。恐ろしいと言っても良い。
 でも、そういうもんじゃない。

 結局、チャンバラって何なんだろう。

 多分、五社英雄とワタクシ禁煙さんでは、「剣豪」という存在の解釈が違うのだろうと思う。
 五社英雄にとって剣豪とは、「力が強くて素早いヒト」であるように思える。
 要するに身体能力に優れたヒト、だ。

 しかしワタクシ禁煙さんにとって剣豪とは、「剣の修行を積んだヒト」である。
 剣の修行を積んだヒトとはつまり「○○流」や「△△流」の型というものが身についているヒトのことで、何らかの洗練の果に編み出された型というものは、自ずとある程度美しい筈、と言うのがワタクシ禁煙さんの考えなのである。

 「日本映画講義 時代劇編」のテーマは、「様式美ばかりが強調された舞のような殺陣が黒澤によって破壊されて以降を扱う」だった。しかし、「様式美ばかりが強調された舞のような殺陣」を否定することは、「剣術」を否定することではなかった筈だ。

 「用心棒」の冒頭、有名なジェリー藤尾の腕が「落ちる」シーン。
 まさにこの瞬間、チャンバラ映画の歴史が変わったのであり、町山氏や春日氏のいう、様式美が破壊され、チャンバラというものがリアルなものへと変貌した瞬間なのだが、この、ジェリー藤尾の「腕落ち」に至る一連の殺陣の始まり、三船は刀を右手で「逆手」に抜いて振り上げる途中で順手に持ち変えた後、袈裟懸けに切りつけている。コレは現代にまで残る剣術「香取神道流」の型であり、殺陣師の久世竜が香取神道流の師範を呼んで三船を指導させたらしい。ちなみにこの「型」はちゃあんと両方(「用心棒」の当該シーンも香取神道流の型も)Youtubeで確認できる。便利な世の中になったものである。

 正直言って三船の冒頭の居合が、伝統ある剣術の型に則っていることなど、あまりに自然で、あまりにも素早いこともあり、映画館で一回観ただけでは気づかないだろう。
 でも、そうなのである。
 そうでなければならない。
 なぜなら、だからこそ美しく、だからこそ恐ろしいのだ(ちなみにワタクシ禁煙さんが大好きな若山富三郎先生も天真正伝自源流という居合術の有段者だそうです。

 ちゃんとした剣術に即した動きから生まれる美しさと恐ろしさ。
 コレこそが殺陣の面白さを支えているのであり、チャンバラが、ちゃんと剣術の修行をしたであろう武士たちの戦いである以上、剣術に倣った殺陣を見せることこそが「リアリティ」というものではないのか。剣術に倣った動き=様式美、では無いはずである。
 と、言うのが、ワタクシ禁煙さんのチャンバラ活劇の面白さの解釈なのである。

 しかるに、ですね。
 五社英雄はここに興味ないよね。

 「人斬り」の主人公岡田以蔵を演じるのは勝新太郎である。
 カツシンはそういう「剣術に則った華麗な殺陣」が出来るヒトである。イヤ、出来るどころか、「座頭市」シリーズを見れば一目瞭然、当時の名人の一人だろう。

 しかし、五社英雄監督はカツシンの名人芸を徹底的に封じて、五社英雄監督の考える「迫力のある殺陣」に拘り続ける。首にあたった刀を、相手の刀が押し返そうとする力に逆らって押し込む、といった、華麗さと無縁な、無骨な、力任せのヒト殺しを強調する。
 そう、コレは刀による勝負ではなく、ヒト殺しである。
 五社英雄監督には、剣術などというものは生っちょろく、要はヒト殺しじゃねーか、と言いたいかのようである。事実、とっても痛そう。

 ただ、岡田以蔵のライバルにして親友、薩摩の人斬り、田中新兵衛をなんと、三島由紀夫が演じていて、流石にこの三島の存在感が五社英雄世界に楔を打ち込んではいる。

 この時の三島由紀夫の演技は、以前の役者としての仕事(「からっ風野郎」と「憂国」)に比べて格段に上手くなったと評判だったらしいが、正直、巧いとも魅力的とも思わなかった。
 しかし、問題の切腹シーン、の緊張感と動きの華麗さには腰が抜けた。
 武市の罠にかけられ、殺人現場から自らの刀が発見されたと聞き、その刀をしげしげと見つめる田中新兵衛。 あっと思うまもなくその刀を抜いて取調べ中に切腹してしまうのだが、全く表情に表さないにもかかわらず、すでに言い逃れが聞かないこと、自らの迂闊さから罠にかけらた絶望を、華麗な動きだけで表現している(ちょっと大げさかな)。
 こういう「異物」のせいで、映画全体の深みが増していて、あえて「異物」をそのままにした五社英雄は、懐の深い演出家だったのだな、と思わざるを得ない。

 そうだ。
 映画「人斬り」のハナシだった。

 前作「御用金」のヒットを受けて、前作以上にキャストが豪華。豪華だけど、ごった煮感がすごい。
 一応芝居のできる仲代達矢や山本圭、芝居よりも存在感と魅力の裕次郎、とんでもない異物としての三島由紀夫。
 これらごった煮なかで、カツシンの巧さだけが際立っている。
 カツシンだけが人斬り以蔵を生きている。
 裕次郎や仲代はカツシンと組むと自分が損をすることに気づいていただろうか。
 カツシンがいると、よほど全体の演技プランをコントロールしないと、カツシンを観るだけの映画になってしまう。
 その辺、五社英雄は分かっていたのだろうか。
 多分、ラッシュを観て、気づいてはいたが、そのまま「カツシンの映画」にしてしまったのだろう。
 五社英雄監督と言えば、後の「女の情念」を描いた映画であり、全体として、コレは「愛してやまなかったオトコに裏切られたオトコの情念」を描いた映画だからだ。
 幕末を現代(当時)の世相と重ね合わせた映画のように見せて、実は、愛する一人のオトコに死ぬまで振り回された悲しいオトコの情念を描いた映画だったなぁ、と言うのが、観終わって一番の感想でした、、、

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