
脚本という観点から見ると、前作「ゴジラ キング・オブ・モンスターズ」よりだいぶマシ。キャラ設定もストーリーラインも前作ほどムチャクチャなことにはなっていない(なってるところもあるけど)。
しかし、その分前作にあったドラッグムービーのような浮遊感は無くなったかもしれない。
まあ、「はぁ?ナニ言ってんのこのシトたち、、、、」というムチャな設定もあるのでご安心ください。
一方で明らかになってきたこともある。
「キングコング:髑髏島の巨神」「ゴジラ キング・オブ・モンスターズ」と、この「モンスターヴァース」シリーズを観てきて(厳密に言うとこの前にもう一つ「GODZILLA」があるのだが、全然覚えてない)、監督も脚本も全部違うのに、ひとつ強烈な共通点があるのに気づく。
それは
「出し惜しみしないこと」
コレだ。
このシリーズの「出し惜しみしない」感はスゴい。
「どぅーせオマエらの観たいものはコレやんな?」とばかりに次から次へと「どぅーせオマエらの観たいもの」を繰り出して来やがる。
もう、「完全にエヴァのパクリやん、、、」というゴジラ対コングによる船上の対決があるのだが、例の船から船へと飛び移りながら闘うバトルが、もう、コレでもかとばかりに続く。しかも単調にならず、アクションのアイデアも豊富で飽きさせない。
前半最大の見せ場であるこのシーンで、「ああ、この映画はこの設定で見たいと思ったものが全部観れる(ら抜き言葉)映画なのね、、、」と思い知らされる。
ストーリーは前作(「キング・オブ・モンスターズ」)に続き登場のミリー・ボビー・ブラウンちゃん(要するに「ストレンジャー・シングス」のエル)が
「地球の守護者だったはずのゴジラがなぜ再び暴れだしたのか」
を同級生のデブや陰謀論者の黒人と探るハナシと、コングが髑髏島から連れてきた原住民の少女(唯一コングとコミュニケーションが取れる)と地下世界(そこがコングの故郷だと主張する一派がいるのね)へ旅するハナシが並行して描かれる。
脚本家としては、ココで
「個人の執念とと世界の驚異を対比させてやったぜ、フフフ」
とか思っているのだろう。
まあ、この地球空洞説と空洞内の描写はもう、真面目に観ていると気が狂いかねないレベルのムチャクチャさ。
百歩譲って空洞内では重力が逆転するのは判らないでもないが(スルーしてあげられるレベルではあるが)、あの、空洞内の空中で岩が浮く描写はなんなの?あそこで自分の足側にある質量と頭上にある質量が釣り合うの?
どうも重力がナニを契機に発生するのか知らないヒトが考えている気がする。
ちょっと子供に観せるのはマズイのではないか。
この地底世界のシーンは全体的に、あの、前作で感じたドラッグムービーのようなヤヴァさに溢れている。
「2020年代にもなってこんなムチャクチャが許されるハズはない、オレは一体ナニを観せられるてるんだ、、、コレは映画を観てるんじゃなくて夢を見てるんじゃなかろうか、、、」
的なトリップ感が味わえます。
そして最後にまたたっぷりと怪獣プロレス。
口からなんか吐く、という飛び道具があって圧倒的に有利なゴジラに対して、コング側にもちゃんと対抗策を用意して対決を盛り上げる周到さ。
怪獣コンプライアンスにも配慮した造りになっている。
東宝の怪獣映画も「ゴジラ」「モスラ」「ラドン」あたりまでは大人の向けの一種の恐怖映画であり、秘境探検モノだったりもしたが、徐々に「三大ナンチャラ大決戦」だの「○○対△△」だのばっかりになるにつれ、どんどん子供向け化が加速していった。なにしろ最終的にはゴジラが「シェー」をするところまで行ったのだから、子供を映画館に来させるためにいかに必死だったかわかる(「シェー」が分からないヒトはお父さん(お爺ちゃん?)に聞いてね?今で言えばゴジラが「そんなの関係ねぇ!」をやるようなものだろうか。それも古いな、、、)。
そして、子供向け路線を続けた日本の怪獣映画は徐々に衰退していく。
「ガメラ」という最初から子供向けであることを運命づけられた世界観も存在したが、これについてはいずれ語りたい。
そして本作を含む「モンスターバース・シリーズ」は前前作の「キングコング:髑髏島の巨神」の時点で既に怪獣プロレスに堕しており、もう、現時点で怪獣プロレスをやり続けるしかなくなっている。
だ けどさ、怪獣プロレスってそんなにモたないよね。
怪獣というなんでもアリの生き物なので、無限のパターンがありそうで、実はない。
なにしろもともと着グルミだ。
可動域が少ないっちゃない。
人間同士のプロレスのようなダイナミックかつ複雑怪奇な動きはもとから無理なのだ。
宇宙人だったらなんか知らんけど超科学的な武器かなんかよく判らんもので闘うだろう。
あるいは人間同士のプロレスのような複雑怪奇な動きが可能な巨大生物が出てきても、我々はそれを「怪獣」とは認められないだろう。怪「獣」と言う以上ケモノであって、そんなに複雑をされたらそれは「前足」ではなくて「手」になってしまい、人間感が出てしまう。
そして、実はこれらの条件をクリアを出来るのが類人猿であるキング・コングであり、キング・コングこそ唯一怪獣プロレスを成立せしむる怪獣なのだが、いかんせん相手はケモノである。
ケモノ相手にどれだけ頑張ってもパターンはそんなにない。
「モンスターヴァース」シリーズが今後もコング頼みのプロレス路線に頼るつもりなら、多分、次くらいでもう、飽き飽きなものしか作れないだろう。
果たして怪獣映画はもう一度恐怖と科学文明への批判を取り戻せるのだろうか。
なんとなく、アメリカ映画界でも日本映画界でも無理な気がする。



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