冒頭から衝撃的。
終戦直後、復員してきた渡瀬恒彦は廃ビルの中で黒人相手のパンパンに堕ちていた妻と再会する。
渡瀬恒彦と復員兵と廃ビルとパンパンとくればもう、「肉体の門」だが、渡瀬恒彦が復員兵役の五社英雄版「肉体の門」はなんとこの15年後。
もう、五社英雄が本作を観てキャスティングしたことは間違いない。
そしてこの後の展開は、田村泰次郎も裸足で逃げ出す驚愕の陰惨さ。
黒人相手のパンパンに堕していた妻が産んだ黒人兵との赤ん坊を発見したあと、渡瀬恒彦が取る行動は、今の目から見るととても信じられない。ああ、映画でこんなことが可能だった時代があったのか、と言う感じ。
やがてストーリーは型通りの、特攻の生き残りや博徒が徒党を組んでヤクザ組織として成り上がっていく、新興ヤクザのサクセスストーリーとして展開していく。
この辺の雰囲気は、手持ちカメラのドキュメンタリー感も合わせて「仁義なき戦い」そのもの。
ココで本作の制作された時期が再び問題になってくる。
本作の公開は1974年7月4日。
そして「仁義なき戦い」第一作の公開が1973年1月13日。第二作「広島死闘篇」の公開が1973年4月28日なのだ。
東映京都が大ヒットさせた「仁義なき」みたいなのを東映東京でも、と言う企画だったに違いない。
それにしてもこの頃の日本映画界のスピード感には感心させられる(そもそも「広島死闘篇」からして3ヶ月後だしね)。
しかし、序盤こそ「仁義なき戦い」のエピゴーネンと思わせておいて、後半どんどん、オリジナリティを発揮し、ほとんど幻想的なまでに本能と欲望に狂った男たちの狂乱が繰り広げられる。
葉山良二を中心として安藤昇、梅宮辰夫、室田日出男、そして狂気のヒットマンとしての渡瀬恒彦は、チンピラとの小競り合いを通じて仲間意識を持ちはじめ「銀座警察」を名乗り始める。
名乗り始めた当初こそ、銀座を仕切っていた待田京介の一家を潰したりして気勢が上がったが、あっという間に内部分裂し始める。一旦内部分裂を始めると、もう、あとは仲間内で殺し合うだけである。この殺し合いの陰惨さにまた恐れ入る。
クールな経済ヤクザとしてのし上がった安藤昇は、舎弟の結婚式の最中に渡瀬恒彦に銃撃されるが、このとき、安藤昇の手のひらが半分吹き飛ぶ描写は、「タクシードライバー」で売春宿のオッサンの手が半分吹き飛ぶシーンの元ネタであることは間違いないだろう。ちなみに「タクシードライバー」は1976年。3年後である。3年で海を超えて影響を与えていることにも驚くが、マーチン・スコセッシのアンテナにも驚く。

分裂と内部抗争を繰り返した挙げ句、自分たちの最後を覚悟した生き残りたちは、料亭に芸者を呼んで最後の宴会を始めるのだが、ワタクシ禁煙者さんは「狂乱の宴」と言う日本語をこれほどあからさまに表現した映像を他に知らない。
大勢の芸者を裸にして飲めや歌えや抱きつけや、男も女もゲラゲラ笑いながら狂乱する様は、色調を変えているせいもあって、終戦以来禁欲してるヒトの見る夢のよう。
暴力でもエロでも全く妥協というものがない。
人間、際の際まで追い詰められれば、結局暴力とエロだろ、と言っているようだ。
監督は佐藤純彌。
佐藤純彌といえばワタクシ禁煙者さんの世代は「新幹線大爆破」を始め、「君よ憤怒の河を渉れ」「野性の証明」「未完の対局」「敦煌」など、大作映画の企画のときに呼ばれる職人監督ながら、ときに日本映画離れした「いい絵」を取るヒト、というイメージだった( 全然関係ないけど、「カイジ」を観たとき、鉄骨渡りのシーンで「なんか佐藤純彌みたいないい絵作りだな、、、」と思っていたら息子の佐藤東弥監督作品だったのもいい思い出です、、、)。
しかしこの作品を含む「新幹線大爆破」以前のあまり大作ではない作品のラインナップを見ると、実は単なる職人監督ではなく、いざとなると自分の怒りを打ち出して来るヒトだったのかも知れない。
リチャード・フライシャーみたいな。
リチャード・フライシャーもなんかっつーと大ヒットした原作小説の映画化を任されちゃあ映画もヒットさせていたが、一方で「ボストン絞殺魔」など自らの問題意識を横溢させた映画を作っていた。
ちょっと残念だったのは、一つのヤクザ組織の興亡史に終止してしまい、タイトルに堂々と謳った「私設(銀座)警察」の部分があまり描かれなかったところ。
もともとヤクザ組織には治安維持の一端を担って来た、と言う歴史と誇りがあり(「仁義なき戦い」にも競輪場の警備を警察署長に頼まれるくだりがあった)。
「実録」を謳っていて、どうもモデルになった組織が実在したらしいので、警察ぶっていきがっているシーンが10分くらいあれば、映画全体の印象にかなり深みが出たのではないか。
警察と言ってもせいぜい銀座で働くおねーちゃんたちのトラブルシューターか恐喝屋みたいなものだと思うが、辰ニイや安藤昇が警察ぶってイキっているバカバカしさはぜひ観てみたかった。
安藤昇は佐藤純彌監督がこの映画の前に撮った2本でも主演しており、この頃は佐藤組だったと言ってもいいだろう。安藤昇を演技が上手いと思ったことはないが、冷徹な存在感は流石というべきか。
梅宮辰夫の「仁義なき戦い」のストイックなキャラとは打って変わった享楽的なヤクザがリアリティ抜群。本来こっちが得意なんだよな。
一味のリーダー格の葉山良二。葉山良二は日活のイメージが強かったのでちょっと意外なキャスティング。厳密に言うと映画の序盤で駆逐される一家の親分役の待田京介も日活のイメージだが。
この頃からいわゆる五社協定が崩れてきたのかもしれない。
そして渡瀬恒彦。
自らの妻殺害以来、シャブ中でほぼ廃人状態になり、一味の仲間と言うより子飼いのヒットマンとしてヒトを殺しまくる(「ヒット」と「ヒト」が被ってややこしいが)渡瀬恒彦の狂気は映画全体を貫くスパイスとして効きまくっている。
後年穏やかな中年男性の役が多くなった渡瀬恒彦だが、この頃、これだけの狂気と絶望を表現出来るのは渡瀬恒彦だけだったのだろう。
全体的に女性の存在感が低いのも佐藤純彌の個性かもしれない。
大好きな渡辺やよいが魅力的に撮られてないのが気に入らなくてそう思うのかもしれないが。
結局、観終わって強烈に思うのは、
こんなムチャクチャな映画が撮れた時代が羨ましいなぁ、、、
だったりする。
多分、今後映画(テレビはもちろんのこと)はコンプライアンスのせいでどんどんつまらなくなるだろう。
「そんな状況の中でも作り手の工夫次第でいくらでも面白く出来るはず」
などというのは欺瞞にすぎない。
弾圧というものは、すればするほどいずれタガが外れたときの反動が大きいものである。
それまで生きてるかな、、、



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