『デューン 砂の惑星PART2 』 砂漠に取り憑かれた男

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 久々の
「え?コレ面白いって言ってるシト、ホントに、心の底から、掛け値なし、オモシロイと思ってる???」
案件。

 一般的に大長編小説を映画化すると総集編っぽくなりがちだが、コレは総集編ですらない、すでに単なる名場面集のように感じる。
 なるほど「名」場面集なので、印象的なカット、美しいカットはふんだんにある。
 ふんだんにあることはあるのだが、なにしろドゥニ・ヴィルヌーブである。
 『ボーダーライン』だろうが『メッセージ』だろうが『ブレードランナー2049』だろうが全部砂漠である。プロデューサーが
「デューンっつったら砂漠じゃん?砂漠っつったらドゥニ・ヴィルヌーブじゃん?ドゥニ・ヴィルヌーブだったら砂漠でいい絵とれんじゃね?」
と思ったに違いない。もう、そうに決まった。

 鑑賞中、この映画に対する興味が「美しいカット」以外に持てないのは、ヴィルヌーブ監督が観客が感情移入できるキャラクターを設定できていないからである。設定できないのか、興味がないのかわからないが、多分両方だろう。
 それでもPARTⅠは主人公ポウル・アトレイデを追っていれば、観客は一応ポウルに感情移入できた。
 しかしPARTⅡは肝心のポウル・アトレイデが徐々に(極端に言えば薬物によって)人間ではなくなっていくハナシであり、感情移入するのが難しい。
 ヴィルヌーブ監督もそのへんは解っているのか、ポウルの恋人チャニ(ゼンデイヤ)にフォーカスして「徐々に人間でなくなっていく恋人を持ったオンナ」の悲しみを描こうとしているが、これも失敗している。
 最初のうちは「運命を恐れてはダメ」とか言ってポウルが人間ではなくなっていくのを励ますくせに、いざポウルが運命に従った行動を取るとプンプンふくれるのである。これを観客に納得させるには相当丁寧な描写が必要だが、そんな尺はなかったようである。
 過去にチャニを演じてきた女優の中では一番売れてるゼンデイヤを持ってこれたのに残念。あるいはゼンデイヤの演技力では揺れ動く女ごころを表現できなかっただけかな、、、

 もう一つ、この映画が退屈なのは、ヴィルヌーブ監督がこのハナシの「奇妙さ」を無視しているからだ。気づいていないのか興味がないのかわからないが、多分両方だろう。
 実は「DUNE/砂の惑星」というハナシはその「奇妙な」世界がウリのひとつなのである。

 DUNE世界は恒星間航行が可能なほど科学が発達している(何しろ1万年後だ)のに、その社会体制は何故か皇帝がいて行政単位は名家単位という、中世に逆行したような体制である。
 また、この世界には銃とか、SFに付き物の光線銃とかは存在せず、一旦地上戦が始まると、なんと剣で切り結んでいる。

 さらに、この世界には、なんと、コンピューターという物が存在しないのである。その代わり「コンピューターのように思考することが可能になるまで訓練された人たち」であるメンタートというヒトたちが出てくるんですけど、原作を読まずにこの映画を見たヒト、この世界にそんなシトたちがいること、気が付きましたか?アトレイデ家のメンタートはPARTⅠにはチラッと出ているのだが(PARTⅡでは全カット)、彼がそういう役割を負っている事に気づいたヒトはいるだろうか。

 実はこれらにはちゃんとした理由があるのだ。
 
 銃やミサイルが存在しないのは、「シールド」と呼ばれるバリヤーが存在しているからである。これにより飛び道具全般、無意味化している(「シールド」は訓練シーンや戦闘シーンにちゃんと出てくるが)。

 コンピューターが存在しないのは、実は作品全体のテーマに関わる重要な問題である。
 実は大昔にコンピューターの反乱による大惨事があって、人類社会全体でコンピューターを禁止したのだ。
 そして、だからこそ砂の惑星の特産品、「メランジ」と呼ばれるスパイスが重要なのだ。
 だいたい、普通に考えてコンピューターなしで恒星間航行が可能な訳が無い。しかし、メランジを継続して摂取することで人間の感覚が宇宙規模にまで拡張され、恒星間の位置関係を把握することが可能になるのだ(この、恒星間航行のためにメランジを取得し続け、徐々に人間ではなくなっていく職業を「航宙士」と呼ぶ)。
 つまり、「DUNE」世界の恒星間文明をささえているのが、「メランジ」であり、砂の惑星なのだ。

 原作者のフランク・ハーバートはかくも綿密な設定を敷き詰めたうえで「変な世界」を創造しているのだ。
 しかるにヴィルヌーブはこれらの「変」さに興味を示していない。むしろ極力原色を漂白し、白と黒(と砂色)だけの静謐な世界で、ただ、まん丸ピカピカの宇宙船だの、逆光での決闘だの印象的な画面のみを並べていく。
 思えばこの世界が「変な世界」であると気づき、原作以上の「変」な映画を作り上げたデヴィッド・リンチはやはり天才である。デヴィッド・リンチ版の「航宙士」の造形を見よ!あと原作にない音声を増幅して音波で攻撃する武器とか。変なこと考えるなぁ、、、

 それにこのヒト、ストーリーにも興味ないでしょ。
 「DUNE/砂の惑星」はその後の数多のSF作品に影響を与えている。
 例えば「スター・ウォーズ」だが、「ベネ・ゲセリット(「変」な語感でしょ?)」が「ジェダイ」の元ネタだというのはすぐ分かるだろうが、もう一つ「サーダカー」と言うヒトたちがいる。皇帝直属の、生まれたときから過酷な惑星で育てられた最強の狂戦士軍団であり、銀河中が恐れている。これが皇帝の権力を担保しているのだ。コレがおそらく「スター・ウォーズ」のストーム・トルーパーの元ネタではないか、ワタクシ禁煙者さんは疑っている。
 でもってこの狂戦士軍団に対抗できるのは主人公のポウル率いる砂漠の民、フレメンだけではないか、と言われていたりする。そして原作のストーリーの中では皇帝がこのサーダカーを投入するか否か、投入するとすればいつなのか、が重要なフックとなっている。
 しかるにこの映画ではサーダカーという存在自体がほとんど触れられない(最後にチラッと出てくるけど何もしない)。
 要するに最恐の兵力の投入という恐怖から生まれるスリルとか、サーダカー対フレメンという興味とか、全然興味がない。

 もう、「DUNE/砂の惑星」の「奇妙な味」もストーリーもなにも興味がない。

 さて、先程ワタクシ禁煙者さんは「メランジ」と言う単語を使ったが、コレもこの映画しか観ていないヒトには「???」だろう。このヴィルヌーヴ版「DUNE/砂の惑星」には「メランジ」と言う単語は出てこないから。
 「DUNE/砂の惑星」はそもそもメランジをめぐる物語なのに。メランジこそが全編に及ぶ最重要アイテムなのに。
 メランジが出てこないわけではない。ヴィルヌーヴ版では一貫して「スパイス」の一語で片付けらている。
 「メランジ」とはフランス語で「合成」の意味であり、要するにサンドワームが合成する「合成麻薬」のイメージを持たせるためにフランク・ハーバートはこの単語を選んだと思われる。
 前作のレビューでも書いたが、「DUNE/砂の惑星」はドラッグ小説なのだ。1960年代とは「ドラッグで意識を拡大して世界を変える」などという、ドラッグを肯定していると取られかねない小説が可能な時代だった。

 つまり、ヴィルヌーブ監督は、なんとかこの映画からドラッグ臭を消すために「メランジ」という合成麻薬を連想させる単語を抹殺したのだ。

 一体全体、なぜこんなになにもかも漂白してまで、「DUNE/砂の惑星」を撮りたかったのだろう。ほとんど意味ないではないか。

 結局、砂漠なのだろう。
 とにかく、砂漠でなんか撮りたいのだ。
 地球の砂漠も未来の砂漠も撮り飽きた。
 次は宇宙だ!砂漠ばっかりの星だ!ガッハッハ!もう、どこまで行っても砂ばっかりだぜ!

 ちなみにヴィルヌーブ監督の出身地、カナダのケベック州にはその名も「Dunes(!) de Tadoussac」と呼ばれる美しい砂丘があるそうである、、、

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