最初に断っておくが、ワタクシ禁煙者さんはこの映画は一種の詐欺だと思う。
本作は正確には「デューン砂の惑星」の前半部の映画化に過ぎないのに、堂々と「DUNE」と名乗っている。
オープニングタイトルでやっと、かろうじて、「PART ONE」とチラッと出るが、そんなもん、もう金払っちゃってるわ。
宣伝にも商品名にも、ひとっことも「PART ONE」とも「上」とも表記されていないのだ。
中には
「あのデヴィッド・リンチ版の『ポウルの妹』や『フェイドとの決闘』はどう描写されるのだろう、、、」
と思って観たヒトも居るだろう。そういうヒト達はクレジットタイトルが始まった瞬間、座り小便してしまうのではないか。
この件については「エアベンダー」のときにも指摘しておいたのだが、どうも業界全体に通達が行き渡ってなかったようである。
そしてもう一つ言っておかなければならないことがある。
ワタクシ禁煙者さんは昔から疑問に思っていることがあるのだ。
それは、
「ヒトはなぜ『デューン砂の惑星』を映像化したがるのか」
イヤ、解るよ。わかりますよ。
確かに「デューン砂の惑星」はアメリカの主要なSF賞であるヒューゴー賞・ネビュラ賞で史上初のダブルクラウンに輝いた作品(まあ、ネビュラ賞はコレが第一回だったんだけど)であり、1965年の発表以来、60年代、70年代、もしかすると80年代までを通じて「SF界屈指の名作」として君臨してきたSF小説の金字塔である。
何しろ「スター・ウォーズ」も「風の谷のナウシカ」も「デューン砂の惑星」の影響下にあることは明らかなのだ。
しかしですね。
傑作であることと映像化して面白いかは別問題である。
コレ、映像化して面白くなりそうか?
この傑作を形骸だけにしてしまうと、
「やたら砂っぽい世界で中世みたいな王侯貴族が権力争いしてるハナシ」
になってしまう。
どうもSF映画として面白いと思える要素がない。
これだけだとセンス・オブ・ワンダーが無くね?
せいぜい「宇宙船より大きいものもいる」と言われるサンドワーム(コレがナウシカの王蟲の原型であることは、もう、ほぼ定説であろう)の威容くらいか。
そんなわけで、なぜ、そんな砂っぽい世界で権力争いしてるだけみたいなハナシをヒトビトは何度も映像化したがるのかが分からない。
実は、「デューン砂の惑星」はSF界初の生態系をテーマにした作品なのだ。
ひとつの惑星の生態系を創造しようという試みであり、砂漠だらけなのも、巨大なサンドワームの存在も、物語のキーとなるアイテム、謎のスパイス「メランジ」も、ある生態系の結果なのだが、物語の時点では前提条件になってしまっていいて、あまり語られることはない。
そして、同時に宗教の本質や哲学のあり方にもSFの手法で深く切り込んだ作品であり、さらに何よりよりもまず、ドラッグ小説なのだ。
接種した者の意識野を広げ恒星間飛行をも可能にする「スパイス」がドラッグのメタファーでなくて何であろう(同時に石油のメタファーでもあるのだが)。小説の初出は1965年、まさに当時のヒッピー(死語)文化、ドラッグ文化のど真ん中から出てきた作品でもある。
要するに、文章では表現できるが、映像化してもあんま面白くなさそうな要素しか残っていないのだ。
実は、SFの真髄がセンス・オブ・ワンダーにあるとすれば、「デューン砂の惑星」のセンス・オブ・ワンダーをワンダーを担保しているのは、巻末に収められた「付録」にある。
何しろ「付録Ⅰ デューンの生態学」、「付録Ⅱ デューンの宗教」、「付録Ⅲ ベネ・ゲセリットの動機と目的に関する報告書」である。面白そうでしょ?
ストーリーの中でさり気なく、なんの説明もなく、サラッと出てきた謎の設定、謎の用語が、巻末に至ってやっと説明され、その世界の深さ奇妙さに驚愕する、という仕組みである。
そしてその付録は映像化はされない。
実は「デューン砂の惑星」は過去2回映像化されているのだが(みんな知ってるよね)、当然2回とも付録までは踏み込んでいないのだ。
いや、付録どころか、「デューン砂の惑星」の生態学SFとしての部分、ドラッグ小説としての部分はほぼ、映像化されていないと言ってもいい。
そもそもワタクシ禁煙者さんが中学生の時に読んだハヤカワ文庫版では4分冊の大長編である。映像化してもストーリーを追うのが精一杯という事情もある。
しかし1984年のデヴィッド・リンチ版は、ダイジェスト感は否めないものの(っていうかダイジェストなんだけど)、さすがデヴィッド・リンチと思わせるものではあった。
デヴィッド・リンチ版で印象的な「スパイスの摂りすぎによりほとんどもとは人間だったとは思えないほど変形してしまった航宙士」だの、「なんか口元にあててそれに向かって『チャーーーー!!』って叫ぶと音波かなんか分からないけどなんかが出てその先にあるものが破壊されるバカバカしい武器」などは、実はデヴィッド・リンチ版のオリジナルなのである。

さらに最大の悪役ハルコンネン男爵。
もともと原作でも「贅肉を反重力装置で持ち上げていないと歩くこともままならないほどの肥満」として描写されているのだが、リンチ版ではなんと、最初から体全体ふわふわ浮いて登場して、皇帝からはカゲで「空飛ぶデブ」などと呼ばれる始末である。
造形も一番「ワルワルい」見た目をしていて、「このヒトはなんでもうちょっと良いヒトそうに見える工夫をしないのだろう、、、」という意味で、もはやシュールの域に到達している。
まあ、原作付き映画としての完成度はともかく、デヴィッド・リンチのシュールな才能を楽しむ映画としてはそこそこ成立していたのではないか。
もう一つ、アメリカのケーブルテレビで制作されたバージョンもある。
これは何しろTVシリーズで5時間近くあり、デヴィッド・リンチ版ではほとんど描かれなかった「デューン砂の惑星」のドラッグ 小説としての側面をある程度えがいているのだが、いかんせんセンスの問題なのか甚だショボい。原作に書かれているからとりあえず描写してみただけで、ドラッグ小説であることには気付いてないのかな、という感じ。
また、主人公の父親レト・アトレイデス公爵がウィリアム・ハートだったり、銀河皇帝がジャンカルロ・ジャンニーニだったり、そこそこ貧乏くさくないキャスティングなのだが(撮影もなんとヴィットリオ・ストラーロ)、主人公のにーちゃんがなんかヤンキーみたいなのは残念。
そして全体的に砂だらけの土地で貴種流離譚をやっているだけの映像になっていて、センス・オブ・ワンダーは感じられない。
で、ですね、今回の「DUNE」ですよ。
そんなわけでワタクシ禁煙さんの興味は
「イヤイヤイヤ、でゅーんとかを懲りずに映像化されるとか聞いてますけど、ちゃんとセンス・オブ・ワンダーを感じさせる映画に出来はるんでっか?」
ということなのだ。
本作はその前半部分(1/3?)だけなのだが、まあ、微塵もないようね、センス・オブ・ワンダー。
う~ん、ベネ・ゲセリットの「ボイス」とかサンドワームとか、SF慣れしてないヒトは驚くのかなぁ、
う~ん、、、「メッセージ」「ブレードランナー2049」のドゥニ・ヴィルヌーヴ監督かぁ、、、なんとなく、センス・オブ・ ワンダーのある話のセンス・オブ・ワンダーを潰すのが得意な監督のような気もする。
今回、原作と過去作のハナシばっかりだが、まあ、しょうがないよね。タイトル詐欺だもん。



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