「ゲット・アウト」 ホラーと差別

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 順序は逆になったが「アス」のジョーダン・ピール監督の監督デビュー作。
 意外なことに、「アス」よりまとも。
 「アス」ほど大胆な論理に依拠してないし、謎展開にもなっていない。
 この一作目の成功のおかげで、ある程度ムチャが可能になったのかもしれない。
 それくらいよく出来ている。
 前半に散らばせておいた伏線の小箱が後半ポコッポコ開く展開が、もう、身悶えるほどの快感。
 この丁寧な伏線回収がナイト・M・シャマランと比べられるところなのだろう。
 まあ、アカデミー賞脚本賞受賞作品にイマサラ過ぎるが。

 売出し中のカメラマン、クリスは白人の彼女に両親に挨拶してほしいと言われていたが、ひとつ不安なことがあった。彼女のローズはクリスが黒人であることを両親に伝えていないのだ。
 ローズは
「ダイジョブダイジョブ、うちの両親そういうこと気にしないから」
というが、不安を拭えない。
 電話で運輸保安庁(空港警察みたいなものか)に務める親友ロッドに相談すると、
「そんなのやめとけ!奴らはオマエをセックス奴隷にするつもりだ!!」
などと言い出す。
 この親友ロッドくんはおデブでメガネ、早口で極端なことを喋りまくる、懐かしやいわゆる「オモシロ黒人」のポジション。そしてオモシロ黒人の常として、彼は実はもう一つ重要な役割を負わされているのだが、、、

 なんだかんだ言ってローズとの結婚も視野に入れているクリスは、ローズの郊外、というよりはド田舎にある実家に行くのだが、なるほど両親はクリスを歓待してくれて「私達はオバマに投票したんだよ」などとリベラルな態度を強調してくる。
 一安心したクリスではあったが、家族と交流するにつれ、やはり徐々に違和感を感じるようになる(そうじゃないと映画にならないし)。

 まず、リベラルを装いながら、二人いる使用人はどちらも黒人である。しかも二人とも挙動がオカシい。
 男の方はなんか夜中に意味もなくその辺走り回ってるし。
 女の方もなんか意味もなくガラス窓に写った自分の顔見て涙ぐんでるし。

 さらに。
 近所のヒトたちを集めてパーティーを開いてくれるのだが、その中に熟女マダムと若い黒人の夫婦がいる。
クリスは(あ!使用人以外の黒人だ!)と思い話しかけるが、ある出来事をきっかけに突然豹変し、クリスにくってかかり「Get out!!」と叫びだす。
 これがタイトルの意味である。
 なぜ彼は突然クリスに「出ていけ!」と叫ぶのか。
 クリスがイヤなのか。
 それとも、、、
 というハナシ。

 ここからハナシは急激にバカSFの領域へと突き進んでいく。
 まあ、SF的設定がやや無理筋ではあるよね。
 こんな事ができるんなら、もっと他に役立てる方法がありそうだし、現在の医療技術のどの辺の先にある技術なのか、分からない。

 でも、そんなことはどうでもいい。
 全体的にややコメディ寄りだし。演出でリアリティ出てればいいレベル。

 そんなことよりも。
 この映画にはホラーでありコメディでありながら、意外なほど過激な思想が隠れている。
 もう、強烈に隠されている。
 ジョーダン・ピール監督のテーマはいつも差別なのだ。

 ローズのコミュニティの白人達は、リベラルなフリをしながら、実は黒人の命をなんとも思っていない。黒人の個々人の生命やアイデンティティーに一片の敬意も持ち合わせていないのだ。

 しかし、いっぽう彼らは意外なことに黒人に憧れている。ヒリヒリするほど憧れているのだ。この憧れを表す描写もふんだんに出てくる。
 熱狂的に憧れているくせに、一片の敬意も持ち合わせていない。
 この矛盾がこの映画を凡百のホラーと一線を画す問題作にしている。

 ネタバレになるのであまり詳しくかけないが、実はこの「白人は黒人に憧れている」という皮肉な感覚が、このハナシのテーマであるといっていいだろう。
 そしてこのテーマは、ワタクシ空中さんにある学説を思い出させる。

 アレだアレ。
 高野信夫「 黒人→白人→黄色人」から岸田秀「史的唯幻論で読む世界史」に至る

「白人とは黒人のアルピノであり、アルピノであるがゆえに差別されてアフリカを追放されたのがヨーロッパの白人の起源であり、白人が黒人を差別するのはその時代に対する復讐である」

 というアレだ。アレって言われても知らんと思うけど。

 この説はアルビノという概念の解釈や、あまりにも白人種にとって屈辱的であるために、ありとあらゆる方面でほぼ、無視されているが、人類の発生がアフリカの黒人である以上、黒人から何らかの形で白人が発生したことは認めざるを得ない。
 つまり、差別されている黒人が白人になりたがったように、大昔に黒人に差別された白人は、実は黒人になりたがっている、という思考回路はありうるだろう。

 何しろほぼ、無視されているので、ジョーダン・ピール監督がこの説をもとにして脚本を書いたとは思わないが、やはり黒人差別を突き詰めて考えるとこの説に至るのかもしれない。

 劇中、主人公のクリスは空港警察に勤める親友のロッド(黒人)と携帯で連絡を取っている。
 ロッドはクリスが「(白人の)恋人の家に行って両親に会ってくる」と言い出した途端に
 「奴らはオマエをセックス奴隷にするつもりだ!!」
などとのたまう、ちょっと極端な言動を取りがちな人物として造形されている。
 要は彼がコメディリリーフなのだ。
 この映画は実はコメディとしても紹介されているのだが、笑いの部分はほぼ、このロッドに頼っている。
 そして、ロッドは映画にたまに出てくる「神」の役割を託された人物でもある。

 結局、最初からロッドの唱えていた説(「奴らはオマエをセックス奴隷にするつもりだ!!」)が一番真実に近いし(違うっちゃ違うけど)、ラストで彼が託された役割もまさに神にふさわしい。

 映画にはたまに神の役割を演じるキャラクターが登場する。ひとりそういう奴がいたほうが、説明が簡単になったりするのだ。
 本作でのロッドは冒頭からコメディーリリーフを担っているが、コメディーリリーフに同時に神の役割を与える、というのがコメディアン出身のジョーダン・ピール監督の矜持なのかもしれない。
 どうせならいっそ、自分で演じればよかったのに。
 ジョーダン・ピールとロッド役の役者は1歳しか違わないのだから。

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