まあ、スゴく楽しい映画ですね。
全編ラテン・ミュージックとダンスで綴られるワシントンハイツの日常。
ツラいことも悲しいこともあるけれど、オレたち元気です!!
ラテン系住人が多く住むワシントンハイツで、すでに亡くなったドミニカ人の両親から受け継いだコンビニを営む青年、ウスナビ。
まあ、彼を取り巻くヒトビトが、なんとなく、それなりに、ドラマを抱えているわけです。
コンビニを手伝ってくれている従兄弟の高校生、近所のタクシー会社で働く、ウスナビの親友の黒人青年、そのタクシー会社の社長、そしてその社長の娘は優等生でスタンフォード大学に通う地元の星だったのだが、何故か最近里がえりしている、、、
そして、ウスナビは近所の美容院で働くネイルアーティストのバネッサを狙っているのだが、、、
というようなコトをですね、楽しくてノリの良いラテン・ミュージックを歌って踊りながらお伝えしてるわけです。
まあ、楽しいよね。
みんな、ラテンのリズムにノッて歌って踊ってます。それだけで楽しいっちゃ楽しい。
ラテンのリズムってそういうものでしょ。
しかし、コレって、ワタクシ禁煙さんの考える「ミュージカルの楽しさ」とはちょっと気もする。
例えば、群舞のシーンはあるのだが、踊りは揃っていない。ラインダンスではないのだ。
ワタクシ禁煙さんは ミュージカルで大勢が一斉に踊るとなれば、ある程度揃って同じダンスを、あるいは少なくともひとつの効果を生むために全員が演出がされて踊る、というイメージがあった。
例えばソロ、あるいは少人数で踊るシーンも、何らかの「振り付け」を感じさせるダンスを踊るものだと思っていた。「ラ・ラ・ランド」でライアン・ゴズリングが両手広げてジャンプしながらクルクル回ってた、みたいな。「オール・ザット・ジャズ」(古っ)のベン・ヴェリーンが顔の前と体の後ろで左右の手を入れ替える(どこだか分かります?)、みたいな(まあ、ボブ・フォッシー、ベン・ヴェリーンのコンビと比べたら可哀相だけど)。
なんかミュージカルを観ていると言うよりはラテン系のクラブ(今、ディスコと書きかけて、ディスコはオッサン臭いかな、と思ってクラブにしました。まあ、クラブとディスコの違いもよく分かってませんが)を覗いているみたい。
おそらく、元になった舞台がそういうものなのだろう。かっちりとしたダンスを見せるというよりは、クラブのノリの楽しさを表現する、みたいな。場合によっては客席も踊りだすの推奨、みたいな。
一応監督はなんとか舞台ではなく、映画っぽくなるように工夫はしている。
アパートのバルコニーで踊っていた恋人同士が、いつの間にか壁に立って踊っているシーンは、多分今後いろいろなところで「ミュージカルの印象的なシーン」として紹介されるだろう。そしてその度にパネラーの誰かが「テレビ版のバットマンかッ!!」とツッコむだろう。

さらに冒頭から何度も繰り返される「主人公が海辺で子どもたちにコレまでを語るシーン」も、単なるミスリードにすぎず、「はぁ?」というようなものである。このカントク、コレで「どう?驚いたでしょ?」とドヤ顔してるんだろうか。
どうも、ミュージカルの伝統のなかに自分の1ページを刻むとか、あるいは逆に斬新な演出でミュージカルの伝統をぶっ壊してやる!とかいう覚悟が感じられず、「大評判の舞台をを恥ずかしくない程度に映像化してみました」という感じがしないでもない。
ジョン・M・チュウ監督は前作「クレイジー・リッチ」に続いて人種問題がテーマなので、人種問題を扱わせるとアクチュアルな演出ができる、という評価なのかもしれない。
そう、この映画は人種問題という真摯なテーマを扱っている。
さらにもうひとつ。
分断も本作の重要なテーマだ。
そもそもワシントンハイツを舞台にしているのは、ここがアメリカの分断の象徴だからだ。
1950年代からドミニカを中心としたラティーノたちが肩を寄せ合って生きてきた(犯罪も多いけど)ワシントンハイツではあったが、もう何十年も金融屋やITが引っ越してきて地価が上がり、もとからの住民が住めなくなる、という「ジェントリフィケーション」にさらされているのだ。
そのため、この映画の登場人物(全員貧しい)たちも、望むと望まざるとに関わらず、住み慣れたこの街から出ていくことを検討している。
人種差別と貧富の差という、今のアメリカが抱える大きな分断の象徴として、ワシントンハイツは存在している。
しかしワタクシ禁煙さんはここにも疑問を感じてしまった。
主人公のコンビニ店主ウスナビもここから出ていくコトを夢見ているが、なんと、彼の望む引越し先は、故郷のドミニカなのである。
ワタクシ禁煙さんは最後までここに引っかかってしまった。
そもそも彼の両親はドミニカから逃げ出すようにして、無一文でアメリカに渡ってきたのではないか。
それにはそれだけの理由があった筈である。
なぜ彼はそこを不問にして呑気にドミニカを夢見ているのか、理解できない。
ウスナビの恋人はファッションデザイナーになりたくてアップタウンに引っ越そうとしている。
その恋人が今勤めている美容サロンのオーナーは家賃の高騰から逃げるためにブロンクスに店ごと引っ越そうとしている。
成績優秀な高校生の従兄弟はアメリカの大学に進学することを夢見ている。
そんな中、ウスナビだけは両親が逃げ出した故郷、ドミニカに帰ろうとしている。
なぜ、ウスナビは両親の決死の決断と努力を無化するのか。
なぜ、ウスナビはそんなにドミニカがいいと思っているのか。
ここがサッパリ分からず、もう、観ていてどうしていいかわからない。
両親の判断を無化するのもいい。故郷に帰りたがるのもいい。
しかし、キミが今ここにいるのはそれだけの理由があってここにいるのだから、その理由を無視する理由を説明してくれよ、と思う。
こっちはドミニカがどんなに素晴らしいところか知らないよ。
ここが納得いかないので、どうも感情移入できないまま、映画が進んでしまう。
やはりラテン系のヒトが観てなんぼ、という事なのかも知れない。
彼らにはウスナビの感情が分かるのかもしれない。
全体として、ラテン系のパーティーを覗き込んでいるような楽しさはあるが、映画としてはどうかなぁ、という感じ。
ミュージカルとしても、圧倒的な群舞も記憶に残るソロダンスもないし、そもそも後々印象に残るような曲もない。
あくまで、ラテンのノリのパーティーですよ舞台で生でコレを演ってるんですよ、ということであり、そこを乗り越えることはできなかった。
ところで、やはりもうちょっとドラマが必要だと思ったのか、中盤にある事件を用意している。そしてその出来事までの残り時間を
「○○まであと○○日」
とテロップで出すのである。
ある世代は「宇宙戦艦ヤマトか!」とツッコミ、またある世代は「北条時宗か!」と突っ込んだだろうが、アレ、舞台ではどうしてたんだろうねぇ、、、



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